そんな素人丸出しの農作業ではありますが、収穫の喜びはひとしおです。ランチはソラマメのパスタにするから、収穫してきてと、こどもたちにザルを渡すと、大急ぎでソラマメをもいできてくれて、穫れたてむきたてを塩ゆでしながら、いっぱいつまみ食いをします。いやーん最高!穫れたては甘い!と自画自賛を重ねるその口は、昔「自分でつくった野菜が美味しいだなんて思い込み」と言い捨てた口です。

 昔のわたしに言ってやりたいことがあります。

「そのとおり、美味しいだなんて思い込みだよ。でも、自分でつくると本当に、感じる味が違うんだ。霜にあたったからこんなに甘いんだねえとか、抜くときポチン尻もちついちゃったよねえとか、土があるだけで種が育って食べ物ができちゃうってすごいとか、みんなでその野菜の話をしながら食べると本当に美味しいんだ。ストーリーのある野菜は、食事の時間を圧倒的に豊かにするんだってこと。あと、これだけは言える。新鮮さは、味そのもの。素人の野菜でも穫れたてはびっくりするほど美味しいんだから!」

 こうして家族で野菜をつくる楽しさにのめり込み、その奥深さや難しさを身をもって知るようになることで、見えてくる世界が変わってきました。

 例えばスーパーで、野菜がとても安く売られていることの不思議。あれだけ労力をかけてつくられるものなのに、あんなに安くて農家さんはどうやって生計を立てているのだろう?肥料代、農機具の維持費、燃料代、農地管理の人件費、どこからどうやって捻出しているんだろう?さらに、無農薬・減農薬・有機野菜をつくる大変さはどれほどだろう?虫対策は、雑草対策はどうしているんだろう?そして、輸入野菜はどうしてこんなに安いんだろう?

 野菜に目がいくと、おのずと農家さんにも目がいくようになります。特に、わたしと同世代で農家を継ぐことにした、あるいは新規就農した地域の農家さんに触れる機会が持てるようになってきた時期から、「農業者」という職業に対する見方ががらりと変わりました。

 彼らは作物について科学的に分析するサイエンティストであり、それを現場に反映させる技術者であり、自らの手で現場を仕切る労働者であり、コスト削減や販売ルートの拡大、広報戦略まで考える経営者でもある。生き残ることが難しいと言われる農業にあえて携わっていくわけですから、目には厳しさが宿ります。

「今年の夏も暑いですね、炎天下の作業は体がきついでしょう?」と聞けば、「それより、気苦労が多いですね」とにこやかに返され、その何気ないひとことにハッとします。体も頭も心もフル回転で、彼らは1日1日を闘っているのだと。

 道の駅で野菜に書いてある生産者の名前を見て「あ!この農家さんがつくったものだな」と思いながら買い、その野菜を食べるとき、まるで自分がつくった野菜のように、そこには大きな感慨を感じるようになります。