「三原山集団自殺」は
なぜ起きたのか
1933年、伊豆大島・三原山の火口に次々と人が身を投じるという、奇怪な現象が起きた。この年だけでも944人の男女が命を絶ったという。
当時のマスコミは「三原病」「三原患者」などと報道。「死の誘惑」などとちょっとしたオカルト現象のように語る人々もいた。
しかし戦後になってから、これが病気でもなければ、呪いのような心霊現象でもないことが判明する。世界各国で有名人の自殺をマスコミがセンセーショナルに報じると、後を追うように自殺をする人々が増えるという現象が、相次いで確認されたのだ。
自殺した人のキャラクター、プロフィール、周囲の友人や家族からどのように見られていたのか、死の直前に何を語っていたのか、といったことを事細かに社会に発信すると、一定数の人々、特に若者たちがその自殺者と自分自身を重ね合わせて、同じような行動に走ってしまう。いわゆる「アナウンス効果」というものがあることが、わかったのである。
言われてみれば、三原山で起きた現象もピタリとこれに当てはまる。実は、この集団自殺にはきっかけがあった。1933年、1人の女学生が同級生の目の前で三原山の火口に身を投げた。さらに、この同級生はそれ以前にも、別の女学生に頼まれて自殺の「見届け人」をしていた。
この奇妙な話を当時のマスコミは大きく取り上げ、同級生は「死を誘う女」と呼ばれた。当時はプライバシーなどという概念はないので、彼女たちは実名、顔出し、私生活まで赤裸々に暴かれた。ちょっとした「有名人」になったのである。そして、彼女たちの後を追うように、次々と人々が火口を目指した。
つまり、あの大量死の真相は「病」でも「怪奇現象」でもなく、なんのことはない、マスコミが「自殺」をエンタメとしてセンセーショナルに騒ぎ立てた結果引き起こされた、「報道被害」だったというわけだ。