デジタル庁の創設は菅政権における目玉政策の一つだ。その背景には、コロナ禍で露呈した日本のデジタル行政の遅れがあった。今回は、デジタル庁創設までの道のりを振り返りたい。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)
新型コロナの感染拡大で
デジタル化の遅れがあらわに
政策には実現までのスピード感が必要だ。そして具体性と実現性、締め切りが必要でもある。デジタル庁の発足はまさに、菅政権が当初掲げた「1年でデジタル庁をつくる」を有言実行したものである。
第1次安倍内閣で総務大臣を経験したことから、私は行政のデジタル化の遅れの主要因を認識していた。それは、1000に上る霞が関のシステムと、1700に上る地方自治体のシステムが標準化されておらず、ばらばらの状態にあることだった。いわばこれも省庁の縦割りの弊害であり、横断的なデジタルシステムの構築を妨げていたのである。
そのため、国民は何らかの行政サービスを受ける際や申請を行う際に、各行政機関や役所内の各担当窓口をたらい回しにされてきた。デジタル化の遅れは、国民への行政サービスにおける利便性の低下を招いていたのである。
こうした問題は、新型コロナウイルスの感染拡大によって広く国民にも知られるところとなった。
個人情報が一元管理されていないために、給付金や補助金の配布システムの構築もままならない。それどころかコロナウイルスの感染者数に関しても、医療機関や各保健所が発生届をファクスで送り、人力で集計せざるを得ない状況が展開されていたのである。現場にはほかに対処しなければならない課題が山積していたにもかかわらず、自動化できるはずの集計に人手を取られてしまったのだ。
コロナ禍における各国の先進的なデジタル施策が報じられる中、クローズアップされた日本のデジタル化の遅れ。これはデジタル行政の司令塔が存在しないことによるものだ。問題点が広く国民に知られたときこそ、行政のデジタル化を根本から立て直す絶好の機会でもあった。
そこで私は総裁選を戦うに当たり、デジタル庁発足を目玉政策として掲げ、「1年でやる」と納期を自ら設定した。思い切ったデジタル化を今進めなければ、日本を変えることはできないとの強い意志があったためである。