森 達也
第25回
北朝鮮による拉致被害者である蓮池薫さんの実兄、蓮池透さんはテレビ画面の中でいつも怒っていた。苛立っていた。その蓮池さんが、テレビ画面の中からいなくなってから、もう数年が経過する。

第24回
「例の北野誠さんの件なんですが…」。某出版社の○○から、電話があった。「で、森さん、周防さんにインタビューしませんか? うちの雑誌で載せますから」。

第23回
5月21日から裁判員制度が始まる。基本的には選挙権を持つ国民のすべてが、この制度の対象になる。法務省はこの制度の周知に懸命だけど、その概要がどうもよくわからない。

第22回
「夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて…」を「追われて」だと思っていた。そういう思い込みってあるよな。しかし、問題は言葉の聞き違いではなく、言葉の無自覚な言い換えなのだ。

第21回
フランスには「豚にナポレオンと名づけてはならない」という法律があるが、国民はこれを古典的ジョークとして解釈しているという。つまりエスプリ。だが日本の最近の法律や条令はジョークではない。マジだから怖い。

第20回
安易なテロップや吹き替えが横行し、テレビは一番大事な映像と音に対してぞんざいになっている。かつて、番組放送中に地震速報が入ると髪をかきむしって悔しがったディレクターはどこに行ってしまったのだろうか?

第19回
時おり金正日のことを考える。肩書きやイメージはいろいろあるけれど、僕は彼のことをよく知らない。でも何となく気になる。ずっと気になっていることがある。どうして彼は、いつも作業着姿なのだろう。

第18回
交通事故で年に8000人近い人が死んでいる。こんにゃくゼリーどころではない。どう考えても今のこの社会で最も危ない存在だ。でも車を廃止しようとは誰も言わない。この差はいったい何だろう。

第17回
昨年12月5日、実質審議がほとんどないまま、参院本会議で「改正国籍法」が可決され、成立した。あまりに拙速で、報道もほとんどない。だが、国籍法についてあれこれ言う前に、「国や国籍とはそもそも何なのか」について考えてみたい。

第16回
政府見解と異なる歴史観論文で更迭された田母神・前航空幕僚長に対し、「幕僚長という立場としては不適切」とコメントした麻生首相。ならば「その立場でなければ適切なのか」と記者たちに訊いてほしかった。

第15回
多くのプロデューサーたちから「オウムの現役信者のドキュメンタリーなど放送できるわけがない」との返答を突きつけられ、どうやら僕は越えてはならない一線を越えてしまったのかもしれないと気づき始めた。

第14回
今年の4月下旬に『R30』というTBSのトーク番組に出演した。放送当日の朝、朝刊ラテ欄の番組の見出しには「KY監督」なる文字があった。なるほど。「空気を読めない」映画監督。確かにそのとおりだ。

第13回
今年5月、ダブリンで開かれた国際会議で、非人道的兵器と言われるクラスター爆弾の全面廃止が採択された。しかしよく考えると、兵器は兵器。それを「人道的か」「非人道的か」で分けることがそもそも無理である。

第12回
100円ショップに行くとなぜ、いつも買いすぎてしまうのだろう。安いだけではなく、品揃えが豊富でバラエティ豊かだからかもしれない。確かによく考えれば、ないと困るものなどひとつもないことが多い。

第11回
代官山で家賃1万8000円のアパートに住んでいたと言うと、半分以上の人は「出るの?」と聞く。それはつまり「幽霊や霊魂に対する恐怖」からくる言葉だろうが、さて、この「恐怖」とはいったい何だろう?

第10回
9.11が起きてから6年が過ぎ、このあたりでもう一度考えたい。テロとは何か。そして「テロと戦う」とはどういうことなのか。そこに共同幻想は含まれていないのか。

第9回
ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映が波紋を呼んでいる。この3月、議員向け試写会が都内で開かれたが、それ以降の展開は僕の予想通りであり、とにかくすべてがお粗末だった。

第8回
ある日、息子と一緒に「ハチ」に遭遇して恐怖を味わった。だが、最も怖れられているクマバチでさえ、本来は獰猛な虫ではないという。人から見た虫の世界は、実は誤解に満ちている。

第7回
19世紀に誕生した「ブランド」という考え方は、資本主義経済によく馴染んだ。一度ブランドがつけば、商品価値や企業イメージは上昇、純資産以上の時価総額を持つことも可能になる。

第6回
そもそも「共同幻想」とは一体なんなのか。僕がこの用語を使い出したのは『包茎共同幻想論』の少し前、『放送禁止歌』というドキュメンタリーを作ったときだ。
