桜は散りかけている。4月の声を聞いたというのに寒い。そのせいなのか、靖国神社に集う花見客の姿は予想以上に少ない。僕は屋台でビールを飲みながらおでんを食べる。幼い子供をつれた若い夫婦が、それぞれ子供の右手と左手を繋ぎながら、参道をゆっくりと歩いてゆく。3人ともにこにこと幸せそうだ。

 桜の代名詞でもあるソメイヨシノ。多くの人は日本の国花と思い込んでいるようだが、実はこれを定める法制は存在しない。あくまでも慣例だ。だから天皇家の紋章である菊が国花だと主張する人もいる。

 慣例という意味では、かつての国旗や国歌も同様だった。この2つは1999年に法制化された。法制化されると同時に「唄え」とか「一同起立」とか「敬礼」とか言う人が増え始めた。だから国花まで無理に決めなくてもいい。この国にはいろんな花がある。きれいな花。地味な花。白い花。赤い花。それで充分。ひとつだけ決める必要はない。でも、ソメイヨシノがもしも国を代表する花だとするならば、それはそれで単一民族説を共同幻想とするこの国においては、とてもシニカルなメタファーが呈示されることになる。

 なぜならソメイヨシノは純血種ではない。エドヒガン系のコマツオトメとオオシマザクラとの交配で江戸時代に誕生した園芸品種だ。つまりハイブリッド。品種の表記は、「Cerasus × yedoensis」。真中にある×(バツ)は、この品種が雑種であることを意味している。

 もっと正確に書けばクローン植物。そもそもは一本の木だったとの説もある。クローンだから種子がない。つまり自力で繁殖することができない。接木など人の手が必要になる。寿命も短い。標準で60年、長くても100年といわれている。樹木としては圧倒的に短命だ。

 葉より先に花が咲くこと、散りかたが潔いこと、ちょうど年度替わりの時期に開花することなどが好まれ、ソメイヨシノは日本中に植樹された。それほど昔のことではない。今のソメイヨシノの大半は、敗戦後に復興のシンボルとして植樹されている。だからそろそろ天寿を迎えようとしている。世代が代わろうとしている。