
村井満
リクルート→Jリーグチェアマンになった“サッカーど素人”が就任早々に退任を語ったワケ
Jリーグチェアマンとして8年間、異例の挑戦を続けて組織改革に取り組んだ村井満氏。任期終了に際し、退任セレモニーでは森保監督からメッセージが届くなど、数々の感動シーンがあった。チームのために尽くし、強い絆を作り上げた村井氏がJリーグに残したものとは。※本稿は、村井 満『天日干し経営:元リクルートのサッカーど素人がJリーグを経営した』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。

Jリーグトップになった“サッカーど素人”が語る、経営と「おいしい干し柿」の共通点が秀逸すぎてぐうの音もでない
リクルートから畑違いのJリーグチェアマンに就任した村井満氏が掲げる経営方針が、「天日干し経営」だ。「天日干し経営」とは、経営の実態を関係者の前にあえてさらけ出すことで、不祥事を防ぎながら健全な経営を目指す手法だ。村井氏が語る、経営者やリーダーに求められる姿勢とは。※本稿は、村井 満『天日干し経営:元リクルートのサッカーど素人がJリーグを経営した』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。

Jリーグ初放映で大失敗…外資系のDAZNが“日本式の謝罪会見”を完璧に乗り切れた舞台裏
Jリーグが2016年、DAZNと10年2100億円の契約を結び、試合のネット配信を開始したことは大きな話題を呼んだ。しかし、配信初日からシステムトラブルが発生し、ファンからの不満が噴出する事態となってしまった。その時、Jリーグチェアマンの村井満氏が取った神対応とは?※本稿は、村井 満『天日干し経営:元リクルートのサッカーど素人がJリーグを経営した』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。

#11
「英語は学校で習ったきり。とても話せない……」と諦めるなかれ。日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)出身で元Jリーグチェアマンの村井満氏は、企業買収の局面をも「中学英語で乗り切った」という。その極意とは?相手の英語が聞き取れないときにすべきこととは?

最終回
リクルートの人事担当役員、リクルートエージェント(現リクルートキャリア)の社長などを経てJリーグのチェアマンに就任という異色の経歴を持つ村井氏。企業経営で培った手腕でJリーグという組織の立て直しをはかる村井氏は、どのような思いで改革を進めていくのか。

第3回
私は新卒でリクルートに就職して以来、かれこれ30年、人と組織の関係に携わってきた。1983年、最初に配属されたのは求人広告の営業で、企業の人事部を訪ねて新卒採用や中途採用の広告をいただく仕事だった。その後、1988年のリクルート事件を挟んで人事部に異動。2000年から人事担当の執行役員として人事制度の設計や自社の採用などに携わるようになった。

第2回
前回は、サッカーのプロ選手の経験もなければ、クラブチームの経営もしたことのない私がいきなりJリーグのチェアマンに就任した経緯と状況、そして当時の心境を述べた。Jリーグには現在全国38都道府県に53クラブが所属している。チェアマンとなった私は、各クラブの代表を集めた実行委員会の議長をしなければならない。右も左も全くわからない状況で月に一度、当時51人の社長を集めて会議を取り仕切ることになったのである。

第1回
リクルートエージェント(現・リクルートキャリア)の社長を務めるなどしていた私が、ある日Jリーグのチェアマンを打診された。歴代のチェアマンと比べると明らかに異例の経歴である。Jリーグの「経営者」としてまず着手しなければならなかったのは財政問題だった。
