Jリーグチェアマンとして8年間、異例の挑戦を続けて組織改革に取り組んだ村井満氏。任期終了に際し、退任セレモニーでは森保監督からメッセージが届くなど、数々の感動シーンがあった。チームのために尽くし、強い絆を作り上げた村井氏がJリーグに残したものとは。※本稿は、村井 満『天日干し経営:元リクルートのサッカーど素人がJリーグを経営した』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。
チェアマン就任から早い時期に
在任任期の上限を決めたワケ
老舗の必要条件は代々、創業の精神を受け継ぐ後継がバトンを受け、渡し続けることに尽きる。
私が就任した当時、チェアマンの在任任期の上限は定められていなかったが、私は比較的早いタイミングで在任任期の上限を8年と決めた。
今でこそスポーツ庁が定める「スポーツ団体ガバナンスコード」では、「理事が原則として10年を超えて在任することがないよう再任回数の上限を設ける」ことが規定されている。特定の個人が長く在任することで権力の集中が起こったり、時代に即した変革を阻害したりする可能性があるからだという。こうした国の規定が存在する前からJリーグはチェアマンの任期を決めた。
自分の役割の終わりが決まっているから、そこまでに何かを仕上げようと思うわけだし、人を育てようと思うのだ。そもそも人生には寿命がプログラムされているからこそ「死ぬことと見つけたり」を出すまでもなく、価値があるのだ。
私は2022年の3月15日をもって退任することが決まっていた。退任するまで、次は何をやるか決めずにいくのが私の流儀だ。リクルートに在籍しながらチェアマンの打診を受けたわけではない。リクルートを辞して、家で家事をしていたときに舞い込んできた話だ。