博物学者の南方熊楠が
旧制中学の卒業生
徳川御三家の一つ、紀州藩55万5000石の城下町だった和歌山市。和歌山城の南にある桐蔭高校は、中学校を持つ6年制の県立中高一貫校であり、「文」と「武」がうまく融合している伝統校だ。
「旧制一中伝統校」というのが、すべての都道府県にある。そこで最初に設立された旧制中学のことだ。東京都の場合は東京府立一中=現都立日比谷高校、大阪府は大阪府立一中=現府立北野高校だ。
和歌山県の場合は、「一中」とは名乗らなかったが、県立和歌山中学がそれにあたる。現在の桐蔭高校だ。
その和歌山中学は1879年に創立された。東京府立一中の開校より1年あとだった。全国でも指折りの伝統校に数えられる。
和歌山中学の開校と同時に入学してきて、後年、「碩学(せきがく)」といわれる大学者になった人物がいる。生涯を在野の研究者として過ごした南方熊楠(みなかた・くまぐす)だ。いや、「碩学」というより「知の巨人」と評した方が,よいかもしれない。