菅 義偉
新型コロナウイルスの感染拡大は、マスク不足や経済活動の停滞などさまざまな混乱をもたらした。その対応には、時に強い政治的決意が必要なこともあった。前回に引き続き、今回もコロナ禍の対応を振り返ってみたい。

新型コロナウイルスの感染拡大は、手探りの対応の連続だった。それでも、前例のない事態に対し政府や関係者が一丸となることで、適切に対処できたと考えている。今回は、初期のコロナ対応について振り返ってみたい。

北朝鮮による拉致問題の解決は、私自身にとって官房長官を務める以前から極めて大きなテーマだった。今でもその思いは変わらない。今回は、これまで私がどのように北朝鮮政策に携わってきたのか振り返ってみたい。

「新NISA」の原型となる制度が導入されたのは、10年前のことだ。結果的に国民の投資マインドは大きく変わり、アベノミクスを象徴する取り組みの一つとなった。今回は、安倍政権下で取り組んだ一連の金融改革を振り返ってみたい。

昨今、あらゆる業界で人手不足が叫ばれている。少子高齢化が今後も進む中で、労働力確保の一つの手段として外国人材を適切に受け入れていくことが重要だ。今回は、官房長官時代に取り組んだ外国人材の施策について振り返ろう。

私にとって「ふるさと納税制度」はとりわけ思い入れのある政策だ。いまでこそ国民に広く浸透しているが、その発案当時には「税の根幹を揺るがす」と官僚から猛反発を受けた。今回は、その導入の経緯と成果を振り返ろう。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

「夢の新薬」といわれたものの、高額過ぎる薬価が議論を引き起こしたオプジーボ。安倍政権は薬価の大幅な値下げに踏み切ったが、ここでも官僚からの猛抵抗が存在した。今回は、オプジーボの薬価引き下げが実現するまでの舞台裏を明かそう。

天皇陛下の「生前退位」と新元号「令和」の発表という歴史的場面は、官房長官の目からどのように見えたのか。今も公にできない経緯は多々あるが、可能な範囲で、その舞台裏を明かそう。

能登半島地震の発生で、震災時における政府の初動対応に関して盛んに議論されている。そこで、2016年の熊本地震に官房長官として直面した私が、当時どんな判断を迫られたのかについて振り返りたい。

私が注力した政策の一つに「携帯電話料金の引き下げ」がある。この政策に込めた思いと実現に至るまでの舞台裏、そして政策の成果を振り返りたい。

沖縄県の基地負担軽減は、安倍政権でも最重要課題の一つだった。その問題解決に向けた取り組みについて、全3回にわたって振り返る。本稿はその最終回だ。

沖縄県の基地負担軽減は、安倍政権でも最重要課題の一つだった。計画の頓挫を繰り返した沖縄の基地問題解決に向けた取り組みについて、全3回にわたって振り返る。本稿ではその第2回をお届けする。

沖縄県の基地負担軽減は、安倍政権でも最重要課題の一つだった。関係者の利害が複雑に絡まり、計画の頓挫を繰り返した沖縄の基地問題解決に向けた取り組みについて、全3回にわたってお届けする。

前回書き記した「60年ぶりの農協大改革」に続いて、今回は「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)」を題材に「攻める農業」への変革の舞台裏を明かそう。

「60年ぶりの大改革」と銘打たれた農協の改革。これは安倍政権が2013年に打ち出した日本再興戦略の中の「農林水産業を成長産業へ」との目標、つまり農政改革の大きな柱の一つだった。その過程では農協の強い反対に遭い、農林族といわれる議員や農林水産省も当初は改革に後ろ向きだった。それでも敢行し、最後は議員や官僚の後押しを得た改革を振り返る。

「不可能」「例年通り……」。官僚からの頑強な反発に屈せず、国宝などを国民や訪日外国人へ公開できるよう、私は論じ詰めた。「出し惜しみ」しなければ、観光資源は全国にまだまだ眠っているはずだ。

日本の重要な国家戦略となった「観光立国」だが、安倍政権はその道を切り開く際に、ここでも官僚の抵抗に直面した。「外国から犯罪者が大勢やって来る」といった反対論を展開する官僚もいる中、実現にこぎ着けることができたその軌跡を振り返る。

今振り返って、間違いなく安倍政権の「最大のピンチ」の一つだったのが、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案の成立を巡る国会審議だ。この危機を克服できた裏で特に私の印象に残っているのは、安倍晋三総理(当時)の姿勢と、諦めかけた私を救ったある本の一節と、「鬼神」のごとく任務に取り組んだ一人の官僚の姿だ。

「政権批判で逮捕」などといった、誤解に基づく全く根拠のない反対論に見舞われてしまった「特定秘密保護法」。施行から約9年たった今こそ、同法が日本の国防や安全保障の面にもたらした劇的な効果についてお伝えしたい。

「邦人の命が懸かった緊急事態なのに、できない理由ばかり挙げるな!」官僚たちにすさまじい剣幕で迫ったそのとき、私は「悪しき先例主義」に凝り固まった官僚組織に前例のない仕事を実行させることの難しさを改めて認識した。
