天皇陛下の「生前退位」と新元号「令和」の発表という歴史的場面は、官房長官の目からどのように見えたのか。今も公にできない経緯は多々あるが、可能な範囲で、その舞台裏を明かそう。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)
新元号「令和」の発表まで
情報漏れは絶対に許されなかった
「新しい元号は、『令和』であります」
2019年4月1日11時41分、当初の会見開始予定から11分遅れて新しい元号を発表した。
新元号は閣議決定がなされた後、当時の天皇陛下(現上皇陛下)と皇太子殿下(今上陛下)へのお伝えを待っての会見となった。
新元号発表までに最も留意したのが情報管理だ。これは官房長官就任以来の危機管理とも通じるが、メディアは発表前に何としても新元号をつかもうと、取材攻勢をかけてくる。一方こちらは絶対に情報漏れを防がなければならない。
結果として事前に新元号が漏れなかったことで、重大任務を無事果たすことができた。
当時の天皇陛下が、象徴としてのお務めについて、国民に向けてお気持ちを発せられたのは、16年8月8日のことだった。
陛下自らビデオメッセージで広く国民に呼び掛け、「既に80を超え……これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなる」ことを案じられ、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」を念じるとともに、このようなお気持ちについて「国民の理解を得られること」を願われたのだった。
実はこのビデオメッセージに先立ち、7月上旬の時点で一部メディアが「天皇陛下が『生前退位』の意向を示す」と報道し、その後、陛下のビデオメッセージが公開されたのである。