菅義偉が驚いた、安倍政権「最大のピンチ」に直面していた時の安倍総理の心中参議院平和安全法制特別委員会で話す安倍晋三総理(右)と筆者 Photo:JIJI

今振り返って、間違いなく安倍政権の「最大のピンチ」の一つだったのが、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法の成立を巡る国会審議だ。この危機を克服できた裏で特に私の印象に残っているのは、安倍晋三総理(当時)の姿勢と、諦めかけた私を救ったある本の一節、そして「鬼神」のごとく任務に取り組んだ一人の官僚の姿だ。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

集団的自衛権の行使を可能にすることは
「待ったなし」の急務だった

「今やらなければいけない。必ず国民にも理解していただける」

 2015年9月に国会で成立した平和安全法制。その実現に向けた政府内、与党間、国会での議論に臨む際には、安倍晋三総理(当時)にも私にも常にこのような思いがあった。

 これに先立つ14年7月には、いわゆる「集団的自衛権」の一部行使容認が閣議決定されていた。日本が直接攻撃される前の段階でも、密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、日本の存立が危ぶまれる事態があり、他に適当な手段がない場合には、必要最小限度の実力行使をできる、と定めるものだ。

 安倍総理も、内閣官房長官(当時)である私も、会見や各メディアで繰り返し述べた通り、この閣議決定の背景には日本を取り巻く安全保障環境の劇的な変化があった。日本が民主党政権下で防衛費を縮小させ、その後も国内総生産(GDP)比1%未満の割合でしか積み増しできず、閣議決定までの間に中国の国防費は日本の2倍を超える約13兆円にまで達していたのである。約10年が経過した現在では、中国の軍事費は実に30兆円以上にまで膨らんでいる。

 同時に、北朝鮮のミサイル技術は着実に上がっており、核実験も行われ、核弾頭の小型化によるミサイルへの搭載も現実のものとなりつつある。このような状況にあって、日本が必要とする抑止力を確保していく上では、国際法上どの国にも認められる権利である集団的自衛権を封印し続けることはもはや不可能であった。

 一国だけで地域の平和、自国の平和を守ることができない状況が現に目の前にある中で、日本と密接な関係にある同盟国と連携を強め、互いを守り合えるようにすることは、まさに「待ったなし」の急務だったのだ。

 そのような考えから、政府は前年の閣議決定を踏まえて、15年5月に集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案を閣議決定し、「平和安全法制整備法案」と「国際平和支援法案」の2法案を国会に提出することとした。

 予想していた通り、この法案に対する野党やメディアからの反論、批判は熾烈を極めた。「戦争法案」とのレッテルが貼られ、「戦前の軍国主義への回帰」「地球の裏側まで戦争をしに行くつもりか」といったものから、「徴兵制の復活につながる」といった荒唐無稽のものまで、あらゆる批判がなされた。

 いずれも、わが国および国際社会の実情を無視した現実離れの批判であり、国民の間に無用の不安や誤解を広めるものであった。

 これらの批判の中には、「一部であっても他国のために武力を行使することで、平和国家日本としてのプレゼンスを失う懸念がある」といったものもあった。これも全くの誤解である。閣議決定にある武力行使の「新三要件」をよく読んでいただければ分かるが、厳格な条件の下で集団的自衛権の行使が検討されるのは、あくまでも「日本という国家の存立そのものが危ぶまれる事態」なのである。

 例えば、北朝鮮の弾道ミサイルの警戒活動を行うイージス艦に向けた米国への武力攻撃が発生し、対応力の低下によって日本の存立が脅かされているような場面。そういうときに、「平和国家としてのプレゼンス」を気にして、集団的自衛権の行使により米艦船を援護しないのは、現実を直視しない「ためにする」反対でしかない。

 それに、そのようなときに日本が共に反撃しなければ、米国との信頼関係は大きく損なわれ、同盟国を失う事態にすらなりかねない。となれば日本国民の命や財産、領土さえも危機にさらされる。