菅義偉が能登地震を受け振り返る「熊本地震の初動対応」でどんな判断を迫られたのか?熊本地震の被災地である熊本県益城町を視察する安倍晋三総理(当時、右から2人目)(2016年4月23日撮影) Photo:JIJI

能登半島地震の発生で、震災時における政府の初動対応に関して盛んに議論されている。そこで、2016年の熊本地震に官房長官として直面した私が、当時どんな判断を迫られたのかについて振り返りたい(肩書は当時のもの)。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

熊本地震の経験を書き残す
官房長官としてどう動いたか?

 元日に発生した能登半島地震で被害に遭われた方々に、心からのお見舞いを申し上げたい。

 私が安倍政権で官房長官を務めた7年8カ月のうちにも日本列島は各地で多くの災害に見舞われたが、2016年4月に発生した熊本地震は非常に被害が大きかった。

 14日21時26分、最大震度7の揺れに見舞われ、さらに16日1時25分にも再び震度7の地震が発生。いずれも最大震度を記録したのは熊本県の益城町だったが、同じ地域で短期間のうちに震度7レベルの地震が繰り返し発生したのは観測史上初めてのことだった。

 この地震での死者は270人を超え、負傷者も3000人弱。熊本県内の避難者は18万人を超えた。家屋の全壊は8000棟以上に上り、20万棟弱の住宅が被害を受けた。40万戸以上が断水・停電し、交通網も寸断されるなど大きな被害が発生した。

 この災害に際し、官房長官だった私はどんな判断を迫られたのか。当時の政府の対応を振り返る。