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「結局、カネ」に違和感
経産省社会人中途採用1期生に
IPO準備に入ったAIIだったが、その少し前から八尋さんは転職を考え始めていた。ソニーは2000年代に入ってから年齢に関係なく、やればやるほど給与が上がる仕組みに変わり、ライブドア事件が起こる前で「IPOでお金持ちになる」という風潮も強かった。だが40歳を目前に控え、「これではない感」を八尋さんは持ち始めていた。
「年齢に関係なく出世できるのは悪いことではないけれど、結局カネかい、という感じがありました。ちょっと説明のしようがないのですが、自分はもっと社会の役に立つことをしたいと思っていたはずだ。生意気にもそんなことを考え始めていたんです。不思議とそういうときはある大学から先生にならないかと声をかけられたり、ある病院の改革を手伝わないかという話があったりして、なるほど、世の中には社会を良くする仕事ってもっといっぱいあるんだろうなと。その中でネットベンチャーをやることが本当に自分のやりたいことなのかと、IPO計画を立てれば立てるほどそう思いました」
そんなときに日経新聞の求人欄で見つけたのが、経産省の中途採用募集広告だった。放送と通信の融合で法律の整備を先進的に行った留学先のイギリスのように、根本的な部分の改革に取り組まないとなかなか物事は動かない。そんな仕事をできるのは経産省ではないか。そう考えて応募書類を書いて送り、論文と面接の試験を受験すると合格の連絡がきた。
しかしこの時はIPO計画の見通しが十分立っておらず、かつ後任のCOOも決まっていない状況だったので「1年後くらいにはいけるかもしれませんが、現在は無理です」と内定を辞退した。残念だが経産省はあきらめ、他のことをしようと頭を切り替えた。ところが1年後、すっかり忘れていたころに経産省から連絡があった。
「1年待ちましたが、いかがでしょうか」
その時点ではIPO計画のメドが立ち、後任者と考えていた人が着任し引き継ぎができそうになっていた。折しもソニーショックを受けて出井会長兼CEOの退任が決まり、エレクトロニクス事業回帰という路線転換が始まるタイミングでもあった。八尋さんは2005年7月、経産省に社会人中途採用1期生として入省し、企画官という肩書を与えられた。
「情報大航海プロジェクト」立ち上げへ奔走
民間から経産省に入省し、いったい何をやるのか。求められたのは「経産省のなかで考えていないことを考えよ」。そこで、最初の数ヵ月は何もしなくていい時間が与えられた。経産省企画官の名刺があれば、基本的に誰とでも会える。長銀時代の調査のように、八尋さんは自分が関心を抱いていた分野の研究者や専門家を訪ね歩いた。
AIIで大容量コンテンツの提供に取り組んでいた八尋さんの関心は、光回線や無線LANの普及で溢れ出る情報の検索や解析、活用にあった。当時、こうした分野の研究開発は亜流であり、現在は著名な研究者でもまだ無名の人が多かった。