小説の舞台は、埼玉県行田市にある足袋業者「こはぜ屋」。百年の歴史を持つ老舗だが、業績はジリ貧の零細企業だ。その現状を打破するために、足袋作りのノウハウを生かしたランニングシューズ「陸王」の開発という新規事業に挑むことを、社長の宮沢紘一が決心することから物語は始まる。
――最新作『陸王』の誕生ストーリーについて教えてください。
1963年生まれ。慶應義塾大学卒業。『果つる底なき』で江戸川乱歩賞、『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、『下町ロケット』で直木賞を受賞。他の代表作に「半沢直樹」シリーズ、「花咲舞が黙ってない」シリーズ、『空飛ぶタイヤ』など。Photo by Kazutoshi Sumitomo
もともとは、編集者たちとのゴルフの際に、たわいもない会話から生まれました。
イタリアのビブラム社のファイブフィンガーズという雪男の足跡のようなランニングシューズがあって、あれを履くと地面の感覚がすごくよくわかる、というような話から、「足袋を作っている会社がランニングシューズを作る小説なんてどうだろう」と思い立ったのがきっかけです。
――ちょっとした雑談から、「これは小説になる」と確信した理由は、どこにあったのでしょうか。
「どんなテーマを扱うか」を決めるに当たっては、自分に課している三条件というのがあるんです。
一つ目は、僕が書く意味があるということ。オリジナリティが発揮できるテーマであるということです。
それから二つ目は、今まで誰も書いていない話であること。『陸王』でいえば、そもそも足袋屋さんを舞台にした小説はないだろうし、「走る」ということをテーマにした小説はあっても、ランニングシューズにフォーカスした小説も、おそらくないと思った点。
最後に、話として豊饒な物語ができるか。要するに面白い話になるかどうかということです。
編集者と飲んでいるときに話が盛り上がって「その話いいんじゃないの」となるときは、この三条件が揃っていることが多いですね。
――実際にどうやって、足袋屋さんがランニングシューズを作るというストーリーを組み立てていったのでしょうか。
まず「足袋って誰がどこで作っているのだろう」という疑問にぶつかりました。そこで、最初は日本橋の地下足袋屋さんに行ったんですが、地下足袋はもう日本では作っていないと。けれど、足袋そのものはまだ作っていて、「足袋といえば埼玉県の行田市でしょう」と教えてもらって。
行田は、かつて足袋の生産量が日本一(1938年には全国生産の約8割を占める8400万足)だった町と知り、話を聞きに行くことになりました。
そのときは、足袋屋さんである「きねや足袋」の中澤貴之さんと、藍染め屋さんである「小島染織工業」の小島秀之さんという、埼玉の老舗2社の方に工場見学をさせてもらいました。