町家ののれんをくぐると、そこにはキルケゴールが立っていた。

 相変わらず黒ずくめのファッションで、中から鳩やうさぎが飛び出してきそうな大きなシルクハットをかぶっていたが、このあいだとうって変わり、肩をすくめ、猫背で、全身からどんよりほの暗い“負のオーラ”を漂わせながら立ち尽くしていた。

「ああ、God dag、ニーチェ、アリサ……」

 いまにも死にそうなか細い声でキルケゴールは呟いた。

「大丈夫?死神みたいになってるけど」

「ああ大丈夫、だよ……」

 キルケゴールはうつむいたまま答えた。

 私たちは、町家造りの甘味処の奥にある、中庭の見える席に腰掛けた。

 中庭は、うっすらとした苔が庭一面広がっており、その上に植木が根づき、金魚が泳ぐ古びた大きな壺がひとつ置かれている。

 雨に濡れた庭から香る土の匂いと、店内で焚かれているお香の匂いとが混ざり合い、どこか懐かしい匂いがお店の中を満たしていた。

 店内に静かに流れる和琴の絃を弾く音が、雨音と綺麗に調和している。

 私たちは、口の中をつるんとすべる柔らかな寒天が、鮮やかな色のシロップにひたひたに浸かっている、店の名物の甘味「琥珀流し」を注文し、キルケゴールに話を聞いた。

「ごめんね、おせっかいかもしれないけれど、一体どうしたの?」

「ああ、大したことではないのですが、雨が続いて憂鬱な気分になっていて苦悩から抜け出せなかったんです。それでついついTwitterを吐け口に……」

「そっか、雨ばっかりだもんね、最近」

「はい、正確にいうと、苦悩というか“自由のめまい”に襲われていました」

「自由のめまい?」

 キルケゴールは聞きなれない言葉を口にした。

(つづく)

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある