17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会って、哲学のことを考え始めます。
ゴールデンウィークの最終日、ニーチェは「お前を超人にするために、私が知り合いAを派遣した」と言い出したのでした。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第19回めです。

「誰?それってもしかして哲学者?ニーチェ以外にも存在するの!?」

 窓の外は、五月晴れという言葉がぴったりの快晴だった。今日はゴールデンウィークの最終日である。

 ゴールデンウィーク中は、お土産物屋さんのアルバイトが大忙しで、慌ただしい毎日を過ごしていた。たまには実家に帰ろうかとも思ったのだが、母から「おばあちゃんと一緒に台湾に旅行に行くのよ」という話を聞いていたので、おとなしく家にいることにした。

 そんな充実したゴールデンウィークの最終日、私はスマホでSNSの投稿を眺めていた。

 ゴールデンウィークはタイムラインも賑わっていて、大勢で琵琶湖に遊びに行っただの、部活の合宿があった、恋人とデートに行った、と、さまざまな人の充実した休日模様が投稿されていた。

 私はこういった他人の投稿を見てたまに思うのだが、こういった充実した投稿内容は、どこかに遊びに行ったから、写真を撮ってSNSに投稿するのか。それともSNSに投稿する目的ありきでどこかに遊びに行く予定を立てるのか、たまにどちらかわからなくなる。

 もちろん友達にそう尋ねたら「そんなの遊びに行ったから投稿するんじゃん!」と言われてしまうのだろうが、もしかすると自分でも気づかないうちにSNSに投稿したくなるような場所に遊びに行くという意識が水面下で働いているのかもしれない。

 ニワトリが先か、卵が先かみたいな水掛け論で、結論は出なさそうだが、たまにそれがひっかかるのだ。

 そして、スマホに集中している私の向かいで、ニーチェが一人ソファに腰掛け、スマホゲームに熱中していた。

 ニーチェはゴールデンウィーク中、新しいアプリの企画に頭を悩ませていたようだが、アイデアが湧かないようで、何かアイデアが降ってくるまでは遊んで過ごすと決めて、私の家を訪ねてきたのだ。

 ニーチェいわく「シェアハウスはWi‐Fiの電波が弱い」ようで、私の家に遊びにきているというよりも、Wi‐Fiを使いに来ているといった方が正しいのかもしれない。

 そんな中、ニーチェのスマホが部屋に鳴り響く。

「もしもし、おお、なんだ君か。久しぶりだな」

「えっ近くにいるのか?ではいまから向かおう」

 ニーチェに誰かから誘いがあるなんて、珍しいこともあるのだな、と私は口にこそ出さないが、心の中で思っていた。

 ニーチェから友達の話を聞いたのは、昔、仲がよかったというワーグナーのことだけだったし、いつも自分の世界に浸っていて他人と積極的に関わろうとするタイプには見えなかったからだ。

 そんなニーチェに誰かからお誘いの電話がかかってきたことに、私は内心驚いていた。

 ニーチェは電話を切ると、

「アリサいまから四条に行くぞ。支度を急ぐのだ!」

 と急かしてきた。

「え、私も行くの?ていうかいまの人誰?友達?」

「知り合いAだ!さあ、急ぐのだ」

「知り合いAって……。なにその触れてほしくない感じ。私はいいよ、一人で会ってきなよ」

「そういうわけにはいかない。お前を超人にするために、私が知り合いAを派
遣したのだ。今日、都合をつけて来てくれたのだ」

「え、そうなの?けど、いまから外に出る用意したら、急いでも一時間はかかるよ」

「時は金なりだ!急ぐのだ、さあ早く。カウントダウンを始めるぞ!十~九~八~」

「ちょっと待って、さすがに十秒では無理だけど、急ぐから。お化粧せずに、髪だけ結ぶから五分待って」

 そう言って洗面台に向かうと、ニーチェはカウントダウンをやめソファに腰掛け、再びスマホゲームを始めた。

 私はドライヤーで軽く髪を整え、髪をうしろで結び「もう出られるよ」とニーチェに声をかけたのだが、ちょうどボス戦に突入だったらしく「ちょっと待つのだ、二分ほど!」と連呼しながら、ゲームをやめる気配もなく、結局十五分ほど待ってから家を出た。

 五月に入ったばかりだというのに、すっかり夏のような暑さであった。京都の夏は、蒸し蒸籠に入れられたような蒸し暑さがある。

 盆地という土地柄、風がこもり、蒸し暑さが吹きだまるのが京都の夏である。四条までは歩ける距離であったが、この蒸し暑さの中を歩く気にはなれずに、私たちは市バスに乗り、京都一の繁華街、四条河原町へと向かった。

 バスに揺られながら私はニーチェに聞いてみた。

「ねえ、いまから一体誰に会うの?」

「キルケゴール君だ」

「誰?それってもしかして哲学者?ニーチェ以外にも存在するの!?」

 驚きのあまり出た大きな声が、バス内に響く。

 ニーチェは人差し指を自分の口元に当てると、「シーッ、静かにしたまえ!」とひそひそ声で注意してきた。

 乗客の視線を一斉に浴び、恥ずかしさがこみ上げてきたのだが、それと同時に、人前だとニーチェがやたらと常識人ぶることにたいして、少しイラッともした。

「ごめんごめん。で、その人は哲学者なの?」

 とヒソヒソ声でニーチェに聞く。

「そうだ。超人になるためには、彼の話も聞いておいた方がいいと思ってな、私が呼び寄せておいた。彼以外にも何人か現世に派遣してある。まあ、全員に会えるかどうかはアリサ次第だがな」

 そう言うと、ニーチェは「とまります」のボタンをすばやく押した。

 しかし、次の停留所は降りるバス停よりも、一つ前のバス停であった。しかし、ボタンを押した手前、降りないのも気まずかったので、私たちはひとつ前のバス亭から四条河原町の交差点まで歩くことにした。

 四条河原町までは大通り沿いにアーケードがあり、ファーストフード店や洋服屋さんが建ち並んでいる。

 そして、ファーストフード店と洋服屋さんの間に、お香屋さんや、甘味処、着物屋さんなどもところどころに入り交じって並んでおり、古都の風情と都会の街並みが混在した京都独特の空気をかもしだしているのだ。

 ニーチェは、待ち合わせ場所に着くやいなやスマホを取り出し、電話をかけた。

「もしもしキルケゴール君か?いまどこにいるのだ?おお、なるほど。ではここで待っているぞ」

 それだけ言うと電話を切った。

「いま、こっちに向かってきているらしい」

「そうなんだ、えっとキルケゴール君だっけ?どんな人なの?」

「少し癖のある性格だが、いいやつだ。会ったらわかるだろう」

 説明するのがめんどくさいのか、ニーチェは適当にはぐらかした。

 私はどんな人が現れるのかドキドキしていた。楽しみ、というよりもニーチェが「少し癖のある性格」というくらいだから、相当偏屈なやばいやつが来るのではないだろうか、という不安で緊張していたのだ。

 そして、バスの中でニーチェが言っていた「彼以外にも何人か現世に派遣してある」というひと言も内心気にかかっていた。

 縁切り神社でお参りしたことをきっかけに、ニーチェのはからいもあり、いろんな哲学者が現世に存在している?

 ニーチェとの出会いからはじまった、不可思議な出来事。私もニーチェに影響されて、少しはものごとを深く考えるようになったと思うが、正直まだ自分で考えるというよりも、ニーチェの考えに影響されているにすぎない。目の前の不思議な現実を受け入れることがやっとという段階だ。

「キルケゴール君が着いたようだ、おーいこっちだ、こっち」

 ニーチェは横断歩道を挟んだ向こう側に彼を見つけたようで、大きく手を振った。すると、横断歩道の向こう側に立つ明らかに一人だけ浮いた、異常な格好をした男性がこちらに向かって軽く会釈をした。

(つづく)

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある