100年前の大正6年には堺に47軒あった桶樽の業者も、今では藤井製桶所ただ1軒。桶の寿命は長く、100年から150年ともいわれる。最近でこそ再び脚光を浴びはじめた木桶だが、買い替え需要はなく、あるのは修繕と組み直しがほとんど。納品した桶の面倒を見るだけでは仕事にはならないのだ。

「3本ずつ蔵に運んだんですけど、3本はつくったばかりだから見たことある。次に6本並んだら『はじめて新桶が6本並ぶところを見た』って言わはって。次、9本並んだら写真に撮りながら『もう死んでもええなぁ』って(笑)。そのくらい新桶はつくらないんです。その後、言われたのが『いつまでできるからわからんで』って」

 現在、藤井製桶所は2020年に店じまいする、と公表している。木桶は醤油づくりの生命線だ。このままでは桶の修繕もできなくなる。危機感を持った康夫氏は大胆な行動に出る。知り合いの大工とともに桶屋に弟子入りし、自ら桶製造に乗り出したのだ。できるかどうかよりもまず行動だった。

「こうなったら自分でつくるしかない。3年分の借金を返済し、返済した分をもう一度借りる形で2012年にもう3本発注しました。その時は1つ1つ工程を止めてもらって、構造から学ばせてもらったんです」

人物と比較すると樽の巨大さがよくわかる

 小豆島に戻った康夫氏は新桶作りに取り掛かる。桶の大きさは横幅1.85m、高さ2.0mと巨大。仲間たちと竹を探し、正確に木を切り出すところからはじめた。大工仕事では引いて削る鉋も、桶づくりでは押して切るなど勝手が違った。竹のタガをかけるのも一苦労な上、そもそも材料の竹の入手が困難だ。それでも木桶文化を捨てる、という選択肢はなかった。

 そうしてついに小豆島生まれの新桶ができたのは2013年の9月のことだ。

新桶作りの詳細はヤマロク醤油のHPでも公開している

「『いろんなところに声をかけたけど、真に受けて修行に来たのはお前だけだ』って言われました。結局、誰もやらない。でも、誰かがやらないと技術はなくなる。2020年に桶屋が廃業した時に技術継承がされてないと、その時は大丈夫でもカウントダウンがはじまる。醤油だと50年~100年のあいだに木桶が使えなくなります。味噌はもう少し前になくなる。わたしが死んだ後、和食の基礎調味料がなくなるわけです。そしたらどうなるか。例えば墓場に入った後、孫とかひ孫に言われますよ。『あの爺さんの代で桶屋がなくなったから醤油屋ができない』って」

――もはや商売の話ではない?

「ないです。新桶に投資してますけど利益は生んでませんから。というのも桶1本分の値段は乗用車1台分のコストがかかる。うちの醤油の作り方で減価償却するのにどれくらいかかるか、計算したんですよ。そしたら90年から100年かかるんですよ。何年ではなく、何代です。これは無理や、と」