私は「才能」という言葉を、スキルをいかに速く習得し、上達できるか、という意味で使っています。ですから、真剣に努力することはその中には入りません。

 ただ、才能は全て遺伝で、グリットは全て後天的なものだということでもありません。話はもっと複雑で、グリットも一部は遺伝に関係しています。ただし、才能は努力で獲得するものではありませんが、グリットは努力で得られるものです。

──本の中で心理学者のミハイ・チクセントミハイの提唱する「フロー体験」のことが出てきます。これはどのようなもので、フロー体験とグリットはどのような関係にあるのでしょうか。

「フロー」とは、人間がそのときしていることに完全に浸り、精力的に集中している感覚を得て、完全にのめり込んでいる精神状態のことです。これについては、『やり抜く力』の中でも詳細に論じています。

 多くの人は、例えばトレーニングやなんらかのパフォーマンスの際、自分のチャレンジのレベルが、自らの持っているスキルの高さにぴたっと合ったとき、フロー状態を経験すると言っています。

 本でも触れた、エキスパートたちの練習法である「意図的な練習」をする際は、チャレンジのレベルが自らのスキルのレベルを越えるので、フローは起きにくいようです。

 ですが、取材したオリンピック選手の中には、練習でまれに真のフロー状態を経験できるという人もいました。端的に言えば、フローとは「努力せずに集中できている状態」のことですが、厳しいトレーニングをしているときにフロー状態になれるかどうかについては議論の余地がまだあります。

 ところで、私はフローに関していろいろな分野の人にアンケート調査をしました。するとどの職業においても、「グリットの強い人はフロー体験も多い」ということが分かりました。

 つまり、私は本の中で、成果を挙げるために、「努力は才能の2倍重要だ」と言っていますが、これは「努力している感覚」や「疲労の感覚」の意味ではありません。その感覚は副作用にすぎず、それ自体はプラスにはなりません。

 成功するためには苦労しなければならないということではないのです。

──自分が秀でたいと思うことについて何年も努力しているにもかかわらず、成功しない人もいます。例えば、日本人は10年以上も粘り強く英語を学習しても、ほとんどの人はマスターできません。何が欠けていると思いますか。

 二つの要素があると思います。一つは、自分がやっていることに対して「内的動機」が足りないということ。もう一つは、「学習の仕方が正しくない」ということです。