波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載ではいち早く話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。


プロレス道場──[1990年11月]

「すみません、ダイヤルQ2のビジネスについて教えていただけますか?」

 蓼科から戻った僕は、さっそく東京の白金にあるデータリンクという会社を訪れた。ダイヤルQ2で利用する音声応答システムを開発していた同社は、同市場の拡大とともに急成長していた注目のベンチャー企業だった。聡明そうな若い女性営業が、僕のぶしつけな質問によどみなく答えてくれた。

「当社は、ダイヤルQ2サービスを提供するための音声応答システム、回線設備、それに番号取得の代行まで、一貫してサポートできるのが特徴です」

「なるほど。それで費用と期間はどれぐらいと考えておけばいいですか?」

「一二回線に同時対応できるシステム一式で約1000万円とお考えください。開発期間は番組内容にもよりますが、早ければ一ヵ月から二ヵ月ほどで番組を開始できます」

「番組の告知はどうすればいいでしょう?」

「雑誌広告や新聞広告がメインです。それとチラシやティッシュを配布するか、郵便受けに入れる事業者さんも多いです。必要とあらば業者さんをご紹介することもできますよ」

「それは助かります!」

 電話に無人で応対する「音声応答システム」は、パソコンに特殊なボードを組み込み、自動応対や回線交換の手順をプログラミングしたソフトウェアを搭載したコンピュータだ。コールセンターに電話すると、「お電話ありがとうございます。ご希望のメニューをお選びください。資料の請求は1を……」という味気ない音声が返ってくるアレだ。その仕組みは僕の専門領域に近く、システム内部の構造を理解できたことも幸いだった。

「やっぱプロレスだよな」

 最大の課題だったコンテンツは、利田のつぶやきで決まった。ヤツが昔からハマっていたプロレス関連のクイズ番組だ。隠れプロレス通は世の中にあふれており、彼らは自分たちの知識に自信を持っている。そこに挑戦状を叩きつけて、マニアのプライドを刺激するのだ。

「イノキ・ボンバイエ!で有名なアントニオ猪木のテーマ曲『炎のファイター』は、実はある人物から贈られたものです。それは誰でしょう?
 1 ジャイアント馬場 2 ドリー・ファンク・ジュニア 3 モハメド・アリ」

 番組に電話すると、こんな感じでクイズが音声で流れる。正解は3のモハメド・アリ。それをプッシュボタンで入力すると、次の問題に進む。全問正解すると賞金がもらえる仕組みだ。熱狂的プロレスファンである利田がいるため、利用者ニーズや広告媒体を的確に把握できることが一番の強みだ。番組の名前は、ずばり「プロレス道場」にした。

 それからというもの、六人組は何度も僕の家に集まっては、それぞれの得意技を繰り出して準備活動にいそしんだ。

 利田が古くからコレクションしていた何百冊というプロレス雑誌を持ち込み、そこから数千問ものクイズを考えて、福田がそれをワープロに記録してゆく。ナレーターを雇うお金などないから、音声や録音もすべて自前。声に自信を持つ上野の担当だ。サーバーに音声コンテンツを格納するシステムを設計するのは納富と僕だ。さらに天羽が中心となって、テレフォンカードや週刊プロレスの広告をデザインする。システム購入や広告費をまかなうための資本金、1350万円も6人で出し合い、サービスの母体となる株式会社フレックスファームも創業した。

 そして、1991年4月3日。僕たちの夢をのせた「プロレス道場」のキャッチコピーが、ついに『週刊プロレス』の紙面を飾った。

 来たれ!プロレス狂よ。今、君のプロレス知識が、吠える時が来た!
 バトルダイヤル 0990-300-009 プロレスクイズ「プロレス道場」

 その日の夜、僕は仕事を終え、フレックスファーム創業の地である三軒茶屋のワンルームマンションに向かった。一人、また一人とヤツらが集まってくる。僕たちは、誰かれ構わずハイタッチし、何度も0990-300-009に電話をかけた。聞こえてくるのは「プー、プー、プー」という話し中の反応だ。

「なあ、サーバーが停まっているんじゃないか?」

 慌てた僕はデータリンクに電話した。確認してもらったところ、12回線用意していたサーバーはフル稼働しているとのこと。ずっと話し中が続くほど電話が集中していたのだ。

「……ということは?」

「きわめて順調ですよ。おめでとうございます」

「マジですか! ウォー、ありがとうございます!」

 僕たちはその晩、何度も電話をかけ、話し中を確認しては狂気のような雄叫びをあげた。この時、仲間たちと感じた高揚感は、それまでに味わったことのないものだった。自分たちの力でこんなにお金を稼げるんだ。大企業に勤めていた僕たちにとって、初体験に近い、確かな商売の実感がそこにあった。

 プロレス道場の情報料は12秒10円で、同時に12人が利用できる。サーバー稼働率が50%でも、一日あたりの売上は40万円を超える計算だ。僕たちが会社で仕事をしているあいだにも、いや、酒を飲んだり旅行に行ったりしている時でさえ、サーバーは黙々と仕事をこなし、みんなの給与をはるかに超えた金額を稼ぎ出してくれる。

 僕たちは打ち出の小槌を手に入れたのだ。回線数や番組を増やせば、いったいどうなってしまうのか。想像しただけで興奮が止まらない。まぶしすぎる未来が、僕たちの目の前でカタチになりはじめていた。(つづく)

(第5回は12月28日公開予定です)

斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数