波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載ではいち早く話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
プロローグ
学習院大学の西門を抜けると、こんもりとした木々に囲まれた小道が続く。
右手にある体育館のバレーコートからはドスンドスンという音が漏れ、その先のテニスコートからは心地よい打球音と気合いの入った掛け声が響いてくる。若い活気にあふれたキャンパスを歩くと、ひたすら自由な時間を謳歌していた慶應時代の思い出がじんわりと蘇ってくるようだ。
2016年4月。30年の時を経て、僕は学びの園に戻ってきた。
長年にわたる起業家としての経験を認められ、僕は学習院大学経済学部経営学科の特別客員教授に就任した。大学で経営学を教える立場になるなんて、悪ガキ大学生だった頃の僕には想像もつかないだろうな。そんなことを考えながら、緑豊かな構内の道を歩いてゆく。
中央研究教育棟に入ると、エントランスのエレベータに乗り込み、四階のボタンを押した。
ほどなく403号室にたどり着く。ドアを開けると、教室の奥のほうを中心に、10名ほどの学生たちがまばらに着席していた。
この日は経営学特殊講義「起業論」の第一回目、履修者とのはじめての顔合わせだ。
手持ちのパソコンにプロジェクタやスピーカーをつなぐあいだにも、ぞろぞろと学生たちが入ってくる。ほとんどが大学三年生か四年生で、男子と女子の数は同じぐらいだ。
授業開始のベルが鳴ってから五分ほどたったろうか。機材のセットを一通り終えると、僕はおもむろに教壇に立ち、教室内の顔を見渡した。そして少し間をおき、これから僕の教え子になる学生たちに自己紹介の挨拶をした。
「はじめまして。54歳、現役起業家。斉藤徹です」
ビジネス向けの講演は数え切れないぐらいこなしてきたが、学生相手となるとずいぶん勝手が違う。散漫で、ざわつきがおさまらない雰囲気のなか、僕はあまり気にかけず、50人ほど集まった若者たちに問いかけた。
「みんなにひとつ聞きたいんだけど」
やる気のなさそうな顔つきの学生たちを見ながら、僕は続けた。
「起業で一番大切なものって、なんだと思う?」
答えるものはいない。友人と小声で話すもの、顔を伏せるもの、スマホでゲームに熱中するもの。ほとんどの学生たちは、いつものスタイルで講義を聞き流していた。
少したった頃、バツが悪いと思ったのか、最前列で僕と目があった真面目そうな女子学生が、ようやくぼそっと小さな声で答えてくれた。
「高い志とか、ですかね」
自信なさそうに彼女が話すと、となりの友人がふざけるように続けた。
「新しいものを見つける目利き力、とか」
さらに教室を見わたすと、いかにも起業家を目指していそうな気負った感じの男子が手をあげた。
「最短距離で勝利をつかむ行動力。あと、カリスマ的な魅力も」
その学生の回答にうなずくと、僕はあらためてこう尋ねた。
「そうだね。君たちの考えは正しいと思う。それらはすべて大切かもしれない。でも、たったひとつだけ、起業で大切なものをあげるとしたら?」
働いた経験もないのに、そんなことはわかるわけがない。戸惑って顔を見合わせる彼らに向かって、僕はゆったりとした言葉で話しかけた。
「鈍感なことだよ」
僕の答えが意表を突いたのか、がやがやしていた教室が急に静かになった。学生たちの視線が僕に注がれる。
「僕には四度、死ぬチャンスがあったんだ」
穏やかに話す僕を、学生たちは不思議な生き物でも見るような目つきで眺めていた。
「起業は華やかなことばかりじゃない。むしろ予期せぬ出来事の連続だ。僕がここで君たちと話していられるのは、どんな危機にも動じない胆力を磨いてきたからなんだ」
僕は起業家として四度死にかけ、そのたびに生き返ってきた。起業家という生き方、それは僕の人生そのものだった。
マイペースで好き放題だった学生時代。やがて大きな企業に入社し、若い勢いのままに起業した。目の前の学生たちの顔を見ながら、僕は若かりし頃の自分の姿を思い出していた。僕がまだ日本IBMに勤めていた当時の出来事だ――。(つづく)
(第2回は12月21日公開予定です)
斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数