1970年代頃まで野球は身近なものだった。男の子のほとんどは物心がつくと、父親や兄弟とキャッチボールをしたものだ。そんなことからごく自然に野球が好きになり、放課後になると小学校の校庭や近所の空き地で三角ベースをして遊んだ。遊び=野球だったのだ。

 そこで自信をつけた子やプレーの楽しさを知った子は中学の野球部に入る。その流れが高校、大学と続いていく。日本全国が野球という競技の広い裾野だったわけだ。

 ところが今は、キャッチボールをする子どもは少ない。したくてもできる場所がないのだ。公園はほとんどが球技禁止。小学校の校庭も安全面の確保ができないといった理由で開放されなくなった。ちょっとした事故やケガでも責任問題に発展する社会になったため、三角ベースは消えたともいえる。そんな風潮もあって遊びから野球の楽しさを知ることがなくなったわけだ。

 その代わりに新たな選手養成ルートが生まれた。一部の野球好きの親が子どもをリトルリーグに入れる。小学生から硬式ボールを使い本格的な野球を始めるのだ。その中から才能に恵まれた子は中学年代のシニアリーグ(呼称はリトルシニア、ボーイズなど様々)に進み、野球の強豪高校に入る。甲子園で活躍する選手の多くが、そうしたリトル-シニアの出身で、彼らがその後も大学、社会人、プロへ行く。そんなルートが当たり前になった。限られた才能がそのままエリート街道を進むという構図。競技の裾野がいつの間にか狭くなってしまったのだ。

 こうした流れはもう戻すことはできない。ただ、遊びから野球を好きになるというのは、今だってできるのではないだろうか。球活委員会でもアイデアは出ているかもしれないが、野球場に親子を集めてキャッチボールをしてもらうのだ。その流れで、バッティングを順番にさせてもいいし、集まった子どもたちで即席チームを作り、試合をするのもいい。

 少年野球のチームに入って揃いのユニフォームを着、指導者に教わる、というところから入るのはハードルだ。それを除いて、野球を遊ぶことから始めるという視点も必要なのではないだろうか。

 ともあれ球活委員会が、今後どのような活性化策を打ち出すのか、期待して見守りたい。

(スポーツライター 相沢光一)