かい達罪目
第二十九条:狭隘(きょうあい)の小路を馬車にて馳走する者
第三十条:夜中無提燈にて人力車を輓(ひ)き及び乗馬する者
第三十一条:暮(くれ)六(む)つ時より荷車を輓く者
第三十七条:湯屋渡世の者戸口を明放ち或は二階へ目隠し簾(すだれ)を垂れざる者
第三十八条:居宅前掃除を怠り或は下水をさらはざる者
第三十九条:婦人にて謂(いわ)れなく断髪する者
第四十一条:下しも掃除の者蓋なき糞桶を以て搬運する者
第四十二条:旅籠屋(はたごや)渡世の者止宿人名を記載せず或は之を届け出いでざる者
第四十五条:往来常燈を戯に消滅する者
第四十八条:物を打掛け電信線を妨害する者
第四十九条:市内往来筋に於て便所にあらざる場所へ小便する者
第五十三条:犬を闘わしめ及戯に人に嗾(ぞく)する者
第五十四条:巨大の紙鳶(たこ)を揚げ妨害を為す者
以上は、文化人類学者百瀬響氏が『文明開化 失われた風俗』(吉川弘文館)に於いて資料として紹介されているものから、現代からも想像し易く、この条例がどういうものであったかを理解する上で分かり易いと考えられる項目を引かせていただいたものである。
この「東京府下違式かい違条令」が公布された翌明治六(1873)年七月、「各地方違式かい違条例」が太政官布告として公布された。
これは、全国での施行を促すための“ひな形”として公布されたものである。
東京府条例が五十四条から成るのに対して、各地方条例は九十条と、規則項目が多くなっている。
東京府条例を「都市型」とすれば、地方条例は「農村型」或いは「村落型」と呼ぶことができるであろう。
百瀬氏は、「都市型」「村落型」という呼称で分類しているので、本書もこれに倣(なら)うこととする。
各地方条例には、確かに村落型らしい規則項目が盛り込まれている。
例えばそれは、以下のような項目である。