さて、それぞれのスタイルから別のスタイルを見ると、以下のようになる。縦を主観、横を客観対象として見ていただきたい。

 このように、働くスタンスごとにまったく考え方が違うため、議論が起こっても当然だ。その中で昨今のもっとも大きな論戦の場は2つある。

議論1 「仕事こそ生き甲斐」群×「ワークライフ充実」群

 目下の主要な論戦場の一つ。仕事こそ生き甲斐派は、ワークライフ充実派に対して懐疑的だ。たしかに、ワークライフ充実派にも優秀な人はいて、「仕事も一流」「趣味の世界でもスゴイ」という人もいる。しかし、そんなのはごくごく稀。ライフの充実は大事だし、それを否定するものではないが、「まずはきちんと仕事で成果を出してからにしてくれ!」というわけだ。そもそも、「競合と必死の戦いをしているのに、そんなキレイごとを振りかざしてさっさと帰られたら会社は回っていかない。お前の給料はどこから出ていると思ってるんだ!」「少々の残業で泣き言をいうとは何事か」と生きがい派は吠える。

 ワークライフ充実派から見れば、生き甲斐派の生き方は意味不明。「生き甲斐とか言っているけど、視野狭窄で、会社のことしかわからない人たちだ。あんなのは社畜のようなもの。家に帰ったら、粗大ごみ扱いされるから、会社にいたいわけでしょ。そして、お得意の長時間労働の中身は、『仕事』というより『調整』という名の仕事ごっこ。もっと能率よくやる方法を考えたら?」となる。残業も「あなたたちが若かった時代の残業100時間って、モノを届けたり、単純な計算をしたり、書き写しをしたり、で頭を使う時間など少なかった。今の残業とはまったく中身が違うのだ」となる。

議論2 「仕事こそ生き甲斐」群×「生活のために働く」群

 もうひとつの論戦場がこれだ。仕事こそ生き甲斐は「仕事そのものにやりがいと成長の機会があるのに、気づかないのはもったいない」と言う。一方、生活のために働く派は「やりがいなどという幻想にまどわされているが、実際には搾取されているだけ」と主張する論争が展開されている。

 社会の指導的立場にある(あった)人の多くは、「仕事そのものにやりがいを見つけることのできた人」であり、普段から会う仲間もまた、そういう恵まれた人たちだ。だから「生活のために働く人の実情」やその「仕事内容」をリアルに感じられていないことも多い。そのため、「あなたたちは、労働時間を減らせなどと言うが、時間なんか気にしていたら、創造的な仕事はできない」などと的外れな指摘をする。

 一方、生活のために働く人も、生き甲斐派の言う「仕事は創造的で協働的なもの」だと実感できるようなことにはめったに出合わないため、「仕事に充実感?ウソだろう」と思っている節がある。「仕事に生き甲斐などないし、そんなことを強制してくるな」というわけだ。たしかに、日々の仕事が繰り返し作業であれば、そこに生き甲斐を見つけろといわれても、困るだけだ。

 このように、互いの状況をわかり合えないままに空疎な論争が進むのだが、相手の考え方の問題を指摘するばかりで、実質的な議論になっていないのが実情だ。