GWに東北を回ってきた。被災地を訪れるのは2度目だったが、津波被害の光景は何度見ても胸が押しつぶされそうになる。被災者自身もそうだし、被災地を見た人も同じことを語る。「自分の目で見たほうがいいよ」と。被災地の光景はニュースや新聞、雑誌などで何度も見たことだろう。しかし、ビデオ映像や写真では伝わらないことがある。スケール感である。

 津波被害を受けた場所に立ってみれば、ガレキの荒野の広さに愕然とする。少し高台から眺めてみると、その荒野はさらに拡がって見える。この距離感は写真では伝わらない。そして、例えば陸前高田のような、本当に町の全てが消え去ったかのような光景を見たときの無力感と絶望感も実際に体験してみないと分からない。さらに絶望感を増大させるのが、その被害の距離感である。

 三陸の海沿いの道をクルマで走ってみると、ガレキに埋もれた光景が延々と続く。走っても走ってもその光景が途切れることがない。朝から晩まで一日中、クルマを走らせても破壊された町が次から次へと現れる。しかし、道が高台へとさしかかると、被害を受けていない集落が現れ、営業をしているコンビニも見える。ほんの少し、安堵感を得ることができる。ところが、下り坂を少し下りると、また波に破壊された家々が現れる。再び絶望感に襲われる。

地震と津波に襲われた、激震地・陸前高田市。街のすべてが消え去った様子は、まるで爆心地のよう。このような光景が、三陸の海沿いの道に延々と続く。
Photo by Takeshi Ohyashiki

現地に行った者を襲う無力感。
民間ができる復興支援とは?

 そんなことを何時間も繰り返していると、精神的ダメージがボディブローのように効いてきて吐き気すら覚えてくる。そんな体験は、テレビの画面や雑誌のグラビアからは得られない。もし、被災者の気持ちを少しでも理解しようと思うなら、やはり現地に行ってみることだ。

 この、あまりに広大な被害の光景を「体験」すると、無力感ばかりが大きくなる。正直に言って、筆者も「復興支援など、言い出さなければよかった」と思った。「大きく考えろ」は筆者のモットーだが、今回はあまりに大きすぎたのではないか? そんな不安が胸をよぎった。

 そんな弱気にチカラと勇気を与えてくれるのも、被災者の言葉である。被災者自身が「頑張る」と言ってくれると、筆者もまた頑張ろうという気持ちになれる。支援しようとする者が、被災者に救われるのである。

 津波は三陸地方の港町を襲った。港を破壊し、多くの漁船が失われた。9割もの漁船が流されたり破壊されたりしたという。「もう漁師をやめよう」、そんな気持ちになっている人も多いと聞く。釜石で漁業を営む佐々木健一さんもそうだったという。