世界で約50名しか成し遂げていない偉業「探検家グランドスラム」(世界七大陸最高峰、北極点、南極点を制覇すること)を世界最年少で達成した南谷真鈴さん。本連載では、南谷さんが快挙を成し遂げることができたエッセンスをお伝えするべく、話題の新刊『自分を超え続ける』の内容を一部公開いたします。連載第6回。
エベレストのための「大きな実行プラン」
1996年、神奈川県川崎市生まれ。1歳半でマレーシアに渡り、大連、上海、香港など幼少時から約12年間を海外で生活。2016年7月、北米大陸最高峰デナリに登頂し、日本人最年少の世界七大陸最高峰登頂者となった。早稲田大学政治経済学部に在学中。「CHANGEMAKERS OF THE YEAR 2016」受賞。「エイボン女性年度賞2016」ソーシャル・イノベーション賞受賞。
エベレストに向けてのプランづくりは、念入りにやりました。
まずはやりたいことのリスト。
エベレスト登山。大学進学。結婚や親になること。仕事を含めた人生でやりたいいろいろなこと。そこには「こんなふうに東京オリンピックに関わりたい」といったものも含まれています。
すべてをリスト化してノートに書き出すと、たくさんの項目が並びました。それでも時間は限られているし、タイミングもあります。そこで「やりたいことリスト」を、自分の人生の時間に当てはめていきました。
たとえば、東京オリンピックは2020年の夏とスケジュールが確定していて、私の都合では動かせません。調整できること・できないこと、優先順位の高いこと・低いことを考えました。
その結果、仕事、子育ても考えた時、「エベレストに登るなら、高校生から大学生がいい」と思いました。
また、大学というのは、絶対に4年で卒業しなければいけないわけではありません。10年かけて卒業するとなると話は別かもしれませんが、1年や2年くらいの調整はそんなに問題ないはずです。私のまわりには、1年旅行をしてから海外の大学に行ったり、休学してボランティア活動をしたりする友人もけっこういました。
その後、スポンサーを集めることを意識した時、「19歳ならエベレスト登頂日本人最年少記録となる」ということがわかりました。最年少はキャッチフレーズになるし、何かの記録をかけたほうが資金を集めやすいだろうとシンプルに考え、「エベレストは19歳」という大きなプランができました。
エベレストのための「小さな実行プラン」
大きなプランが決まったからといって、実行できるわけではありません。私は細かい実行プランを立てることにしました。エベレストに登るためには、大きく分けて2つのことが必要だと考えました。
(1)山に登るためのトレーニング
(2)スポンサー探し(資金集め)
登山に必要な体力と筋力をつけ、心肺機能を高めるためにはどういったトレーニングがいいかを調べました。何時から何時まで走るか、家ではどんな筋トレをするか、どこのトレーニングジムで何をやるか。
そこで私が選んだのはクロスフィットトレーニング。クロスフィットとは、アメリカ発祥のフィットネスプログラムで、高強度の全身運動を短時間で行い、心肺機能、スタミナ、筋力などを効率的に強化していくトレーニング方法です。前述したとおり、私は、ニコラス・ペタスさんの指導を受けることになりました。
毎晩8時近くにジムに行き、1着10キロのベストを3着身につけ、20度まで傾斜を上げたランニングマシンをひたすら登ります。
30キロの重さがずっしりと肩にのしかかり、それだけでもきついのに、急斜面を早足で登っている状態ですから、だんだんサウナみたいに暑くなります。そうすると、たまらなくいやだったのが臭い。洗っていない使い回しのベストに染み込んだいろんな人の汗の臭いが、熱気も吸い込んでむわっと立ちのぼります。
そのあとは足腰を鍛えるために、200~300回のスクワット。さらにケトルベルを数十回。重りがついているハンドルをしゃがんで引き上げ、背筋を鍛えるトレーニングです。このあたりでもう、腰が痛くてふらふらしてきますが、ニコラスさんはスパルタで許してくれません。「たしかにきついだろうけれど、自分のやりたいことでしょう?」という感じで容赦しません。これをジムが終わる9時半頃までみっちりやりました。
高校生ですから、山だけに集中できるわけではありません。日々の勉強も、進学のこともあります。私は香港では誕生日と学期の関係から日本より半年早く、17歳で高校を卒業して大学に行く予定でした。
「海外の大学に行きたいのなら、アイビーリーグくらいでないと行く意味がない」
父にそう言われて「それならコロンビア大学!」と考えていました。ニューヨークにあってジャーナリズムや国際関係に強いところが魅力だったのです。サマースクールに参加したあとは大学から優先オファーもあって、希望すれば入学できるとほとんど決まったようなものでした。
しかしそれから間もなく、家庭の事情など、さまざまなことが起きてしまいました。ニューヨークで新生活を送るという余裕が、私の中から消えてしまったのです。
「一歩下がって落ち着こうか」
父のこんなアドバイスで日本に戻り、私は再び東京学芸大学附属国際中等教育学校で高校3年生として学ぶことになりました。父は香港に留まったため、1人暮らしです。香港時代から自分のことは自分でやるようになっていたとはいえ、完全に1人になるのは初めてのこと。自分で食事をつくり、自分で掃除や洗濯といった家事もこなさなくてはいけません。
このようにタスクはいろいろありましたが、大学に進学してから山にチャレンジするという考えはありませんでした。19歳というベストタイミングはなんとしても逃したくないし、だからといって勉強には手を抜きたくない。両方やり遂げると決めていました。「この週は勉強をひたすらやって基礎トレーニングだけ。テストが終わったら登山に行こう」とメリハリをつけたのです。
エベレストを目指すには、難易度の高い山にいくつか登って経験を積み、高所に順応しておくことも欠かせません。いろいろ調べていると、まずは南米大陸最高峰、6959メートルのアコンカグアを登頂し、次にもう1つアコンカグアより高い山に登ってからエベレストというのが最短コースだとわかってきました。