「歴史」を学ぶことでフェアネスを磨く

 あるいは、こんなこともあります。
 私は、華僑の経営者に「小西はバカだな」と言われることがあります。なぜか? 私が政府に納める税金は絶対にごまかさないという方針を徹底しているからです。私たちが日々使わせていただいているマレーシアのインフラは、先人が長年にわたってコツコツと投資してきたものです。それを使わせていただくのですから、ルールに従ってきちんと税金を納めるのは当たり前だと思います。それが、フェアというものです。

 ところが、華僑は「税金はできるだけごまかす」という考え方をする人が多い。そして、私のことを「正直者」ではなく「バカ」と言います。若いころは、「できるだけごまかす」などという考え方はフェアではない、と腹を立てたこともあります。しかし、今は少し違います。なぜなら、華僑と私とでは「国家観」がまったく違うことがわかったからです。

 どういうことか?
 華僑の多くは、阿片戦争以来の国家動乱のなかで故国を追われてきたか、逃げ出してきた人たちです。私には日本という祖国がありますが、彼らには祖国がない。華僑は誰も中国を祖国とは思っていないのです。中国とビジネスはしても、中国に住みたいという人はいない。少なくとも、引退したのちに中国に移り住んだ華僑を私はひとりも知りません。これが、日本人である私との大きな違いなのです。

 もちろん、私はマレーシアを終(つい)のすみかにしてもかまわないと思っています。愛する土地ですし、友人にも恵まれています。しかし、私は日本という国が好きです。いまも、年に何回も日本に帰っていますが、やはり素晴らしい国だと思う。私にとっては、マレーシアも日本も愛する祖国なのです。

 一方、華僑は、マレーシア、インドネシア、タイに生まれたときから住んでいたとしても、そこが祖国だと考えてはいません。彼らの歴史は迫害の歴史です。あらゆる土地で迫害を受けてきた。インドネシアの大虐殺では、何百万人もの人が殺されています。マレーシアでもマレー人と対立した結果、大規模な暴動が起きたこともあります。あらゆる国で、何かあると華僑は襲われてきたのです。そのため、彼らは常に第三国に資産を持っています。何かあったら、すぐに第三国に逃げ出す準備をしているのです。

 つまり、彼らは、自分が国家に属しているという感覚を根底にはもっていないということ。だから、国家に支払う税金を“無駄金”だと考えているふしがあるのです。

 これは、私の考え方とは異なります。しかし、彼らの歩んできた歴史を考えれば、理解することはできる。だから、私は、税金をごまかすことはしませんが、彼らの考え方を一方的に「アンフェアだ」と否定する気にもなれません。

 このように、自分にとってのフェアネスが、相手にとってのフェアネスではないことはたくさんあります。私は海外で生きてきましたから、同一性の高い日本国内で生きるよりもこのような経験は多かったはずです。だから、私は一般的な日本人よりもフェアネスについて深く考えることができたのではないか、という気がします。

 しかし、日本のなかでも本質的には同じだと思います。日本人は同一性が高いとはいっても、一人ひとりものの考え方は異なります。にもかかわらず、自分だけの思い込みで、フェアネスを相手に押し付けるのはフェアではありません。まず、「相手を理解し、尊重し、助ける」。この精神を徹底することが、一歩でもフェアネスに近づく基本。そして、フェアに付き合うことで良好な人間関係が築かれるのです。