翌朝、ホテルへやって来たチュアが、生真面目な顔で報告をした。深夜まで電話で家具メーカーの社長と交渉を重ねた結果、厳しい条件であるが、購入を即決してくれるのならば了承しようと折れてくれた、と。

 自分の説得の賜物だと自慢気に話すチュアの口を見ていた幸一は、胸の内で毒づいた。はなから150万ドルくらいまで覚悟をしていたはずなのに、思いがけず好条件を得たので鼻高々にその社長さんへ電話したんだろう。

 その一方で、隆嗣が昨夜話した「ちょっと面倒なことを頼むつもりだからイロをつけた値段を提示したんだ」という言葉を思い出す。その面倒なことを頼む理由を19年前の悲劇とともに聞かされた今では、すでに自分が口を挟むべき商談ではなくなったと感じていた。

 そして、隆嗣がチュアへ『その面倒なこと』を切り出した。

「判りました。ついてはチュアさん、頼みがあるんだが聞いてくれませんか?」

「何ですか? 私に出来ることでしたら力になりましょう」

 せっかく掴んだ獲物を逃すまいと、チュアが精一杯の笑顔で応じる。

「二つのお願いがあります。一つは、10万ドルのキックバックを段取りしていただくこと、我々の税金対策です。170万ドルにキックバック分の10万ドルをオンした180万ドルを支払いますので、取り引き完了次第、その10万ドルをキャッシュバックして欲しい」

 しばらく思案顔をしていたチュアだが、方策を思い当たったのか軽く頷いて答える。

「それでは、シンガポールのトンネル会社を使ってもよろしいですか? 例のアジア通貨危機以降、マレーシア政府は外為管理が厳しいんです。シンガポールの会社へL/Cを開いていただくことにして、そこでコミッションを抜いて10万ドル捻出しましょう。大丈夫、融通が利く当てがあります……。それで、もう一つのご依頼は何ですか?」

「契約書は今言った通り180万ドルで作っていただきますが、その前に、設備一式で総額80万ドルという見積書を作成して欲しいのですが……」

 隆嗣が求める意図を掴みかねて、チュアが首を傾げる。

「それは簡単なことですが、なぜそんな見積りが必要なんですか?」

「我々の会社は中国との合弁会社ですから、先ず過小評価した見積り書を中国側に提示して投資の決議をしてしまおうと考えているんです。なに、心配いりません。資金はすべて日本の私の会社から出しますので、L/Cはちゃんと180万ドルで開きますよ」

 あやふやで心もとない言い訳に、隆嗣自身も苦笑いしてしまいそうになるが、銀行が支払保証してくれるL/C開設を約束したことに満足したチュアは、疑いもせずに了承した。

「わかりました。今日にでも見積書を作成してお届けします」

「それで、輸出できるのはいつ頃になりますか?」

 ようやく幸一が口を挟んだ。

「そうですね……。コンテナにそのまま積み込める大きさの機械は木組み梱包するだけでいいのですが、ドライヤーは分解してパーツごとに積み込まなければなりません。技術者と作業員の手配から始めますので、2ヶ月から3ヶ月はかかると思います」

「判りました。くれぐれも慎重に作業をするようにして下さい」

 幸一が答えつつ横目で窺うと、隆嗣は商談の成立に満足そうな顔をしていた。

 朝陽の照射を受け始めた外界に反し、ホテル館内の密閉されたカフェテリアではサービスとばかりに必要以上に冷房を効かせている。そのためなのか、幸一は一つ身震いをした。

(つづく)