ゴッフマンが『儀礼的無関心』という概念を世に伝えたのは、1960年代のこと。当時は、アメリカ白人中流社会で存在するものとしてフォーカスされていたが、文化風土によって差が出るものだと考えられるようだ。

過度な干渉も無視もNG
微妙なバランスで成り立つ車内マナー

「ドイツの社会学者、ゲオルク・ジンメルは、『知り合いでもない人と長時間居合わせるようなになったのは近代化以降、公共交通機関などが発達してからのこと』だと言っています。つまり匿名性の高い無関係な人間同士が、空間の中に近い距離に存在し続けなくてはいけない状況は、社会の変化によってもたらされているのです。

 こうした状況下に置かれた人たちが、『どう振る舞えば周囲を不快にしないのか、自分も不快にならないか』を考えたとき、お互いに過度に関わりあったり、逆に過度に無視したりしないことが、閉鎖された空間を平穏に過ごすためのコミュニケーションのスキルとしてベストなものだと感じられ浸透していったと考えられます」

 同乗他者への積極的なコミュニケーションや過度な干渉は控えることが是とされている現代においては、必要な態度といえそうだが、もともとこの「儀礼的無関心」を装うスキルは生まれたときから備わっている本能ではない。幼少期の子どもは、車内でも無遠慮に他人を見つめてしまうことは多々ある。「儀礼的無関心」を上手に装うには、少なからず公共空間で過ごす経験値や想像力が求められるのだ。

「車内に居合わせた他者に不快感を与えないかどうかに気を配る、センシティブな感覚は必要だと思います。その感覚が車内を平穏に保つためにも最低限求められることではないでしょうか。しかし、『儀礼的無関心』が破られることがあります。たとえば、女性や身体に目立つ障害がある人にぶしつけなまなざしを向けることは、儀礼的無関心への違反行為です」

 ちなみに、サングラスなどのツールを使用して自分の視線の動きが外から分からないようにしながら、じつはジロジロ見ている、といったような儀礼的無関心違反もある。

 また、最近はスマホの登場によって、「儀礼的」ではなく100%の無関心へ偏っている風潮を感じると草柳氏は言う。