白黒はっきりつけすぎるから
子どもたちは失敗がこわくなる

──たしかに、学力か想像力か、など二者択一の発想に陥りがちかもしれません。われわれメディア側も「記事を読ませるため」などから、クリックされるようより分かりやすく、キャッチーに見せることに注力してしまう傾向もありますから。

 そうしたメディアの影響はあるかもしれませんね。AかBか、という形に整理した方が分かりやすいですし、実際に受け取る側もストレスが少ない。しかし、本来複雑であるものを簡単に分けてしまうことに無理があるのも事実で。これが成功、これが失敗、と分かりやすく峻別されてしまうからこそ、子どもたちはさらに失敗を恐れ、新しい経験を敬遠するようになる気がします。
 
 そういう意味では、まずは大人が二者択一に染まるのをやめて、「AもあればBもある」と両方の視点で考える「複眼的思考」で物事を捉える意識を持つことが必要なのではないでしょうか。

──子どもの「面白い」というモチベーションの可能性を引きだすため、親には何ができるのでしょうか。

 子どもが公園でもスマホゲームで遊んでいることがよく問題視されますが、単純にその環境にスマホ以上に面白い遊びがないという面もある。かといって、スマホなどを否定し、親が子どもに「スマホ以上に面白いものを与えなきゃ!」というのも違う。「面白そう」という感覚は、もともと誰かが何かをしている背中越しに見て感じるもの。だから親自身が実際に面白いことをやっていることが、子どもにとってよい刺激になるのではないでしょうか。

 臨床心理学者の北山修先生の研究によると、日本の浮世絵には母子が同じ対象を見ている「共視」というモチーフが繰り返し現れるそうなんですが、このように親子が同じ物を見て、感情を共有することが、子どもの共感性を伸ばすのに重要な役割を果たしていることが研究でも分かってきたという。

 例えば親が子どもの前でシャボン玉を吹いて、「ほらキレイだよ」と一生懸命子どもに見せようとするとします。その状態は、子どものことを大事にはしつつも、先立っているのは「シャボン玉を見せたい」という親の立場なんですよね。そうではなく、横に並んでシャボン玉を吹き、子どもと一緒に飛んでいくのを眺める。その時初めて「子どもの立場」と同じ目線で心の触れ合いが生まれます。

 子どもに「スマホをいじっちゃダメ」、といって怒るのではなく、親子二人で一緒に覗き込んだらいいんです。もうまもなく夏休みですが、夏の海水浴もキャンプも「子どものためにしてあげる」のではなく、同じ目線で一緒に楽しむ。そうすることで、子どもの「面白い」という感覚が広がり、そこから自発的に動けるモチベーションにつながるのだと思っています。

「あんな大人になりたい」という声は、子どもたちからなかなか聞こえてきません。ロールモデルがない、という表現もよく言われています。教育という言葉は「共に育つ」と書いて「共育」とも読めますが、大人が面白く生きることで子どもによい刺激を与え、共に育つことができる。与えるのではなく「共育」という考え方が子どもに及ぼす効果について、社会全体にもっと浸透すべきだと感じています。