失敗を「チャンス」に変える秘訣

小西史彦(こにし・ふみひこ) 1944年生まれ。1966年東京薬科大学卒業。日米会話学院で英会話を学ぶ。1968年、明治百年を記念する国家事業である「青年の船」に乗りアジア各国を回り、マレーシアへの移住を決意。1年間、マラヤ大学交換留学を経て、華僑が経営するシンガポールの商社に就職。73年、マレーシアのペナン島で、たったひとりで商社を起業(現テクスケム・リソーセズ)。その後、さまざまな事業を成功に導き、93年にはマレーシア証券取引所に上場。製造業やサービス業約45社を傘下に置く一大企業グループに育て上げ、アジア有数の大富豪となる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして同国国王から、民間人では最高位の貴族の称号「タンスリ」を授与。現在は、テクスケム・リソーセズ会長。既存事業の経営はすべて社著兼CEOに任せ、自身は新規事業の立ち上げに采配を振るっている。著書に『マレーシア大富豪の教え』(ダイヤモンド社)。

 雇用についても同じです。
 廃業したり、事業を他社に売り渡すときにも、社員たちの雇用を死守してきました。

 かつて、テクスケムが手掛けて大成功を収めた事業がありました。しかし、あるときイノベーションが起こり、その変化に対応するためには多大なコストを負担しなければならない事態に陥ったことがあります。

 その事業は、強い思い入れをもっていたために非常に悩みましたが、グローバルな競争環境を考えれば、私たちの資本力ではとても勝ち残れないと判断せざるを得ませんでした。そして「無念だが、事業売却せざるを得ない」と決断。いくつかの会社に打診をして、日本、アメリカ、インドの大企業からオファーがありました。

 そのなかで、金額的に最も好条件を示したのはアメリカ企業でした。しかし、私は古くから付き合いのある日本企業に売却することにしました。アメリカ企業に渡してしまったら、当時5つの工場で働いてくれていた約2000人の従業員がどうなるかわからないと考えたからです。

 事業売却せざるを得ない状況になったのは私の責任です。その結果、何の責任もない従業員に迷惑をかけるわけにはいきません。しかも、私は異国人ですから、労働者の不信を買えば大きなダメージを受けるでしょう。だから、金額的には不利な条件でしたが、従業員の雇用維持を条件に日本企業に売却することにしたのです。

 このように「迷惑をかけない」ためのダメージコントロールに注力してきたために、社会的にも「次のチャレンジ」を応援していただけるポジションに立つことができました。いや、むしろ、応援してくれる人がたくさん現れました。その意味で、ダメージコントロールさえしっかりすれば、失敗はチャンスのもとになるのだと思っています。

 これは、コトの大小に関係ありません。
 仕事をしていれば、大小さまざまな失敗をします。

 そのときには、すぐに過ちを認めること。そして、ダメージコントロールに全力を注ぐこと。そのときはつらいですが、それを徹底できれば必ず道は拓けます。重要なのは、自分を守るのではなく、周りの人々を守ることです。その結果、いずれ周りの人があなたを守ってくれるようになるのです。これが、着実に出世する人の重要な鉄則なのです。