規制業種の典型例――東京電力
最近、東京電力など電力業界に対する風当たりが強まりつつある。曰く、監督官庁やマスコミとの癒着がある、一般家庭向け電力料金算定が「総括原価方式」で決まっているのはおかしい、監督官庁からの天下りの受け皿になっている、関連会社への天下りが多い、危機管理が出来ていない…。
電力業界にも、「電力の安定供給責任がある」など、言い分はあるだろう。しかし、上に列挙したようなものは、ある意味で尤もな批判であるように思われる。福島原発事故後の東京電力を見ていて筆者が奇異に感じたのは、まず、なぜ事故直後に原発事故の現場に会長・社長などトップが出向かなかったかである。企業再生の世界では、危機に際してはトップがリスクを取って陣頭指揮をしなければ社員は絶対についてこない。これは普通の会社ならば「イロハのイ」である。
筆者が感じた奇異なことの2番目は、トップ以下、役職員が痛みを積極的に取らないことであった。役職員以外の外部ステークホルダーに迷惑をかけ、しかも経営が危機に瀕しているならば、役職員が率先して痛みを取るのが普通の会社の企業再生の鉄則である。そうでなければ外部ステークホルダーは普通許してくれないからである。しかし、原発事故の時に在任していた東京電力の前社長は、退職金を手にし、何らの痛みも取らずに退任しているし、世間並みよりは待遇がいいと言われている社員の報酬も若干のカットでお茶を濁している。
なぜこうしたことが許されるのかと言えば、要するに電力業界が「普通の会社」ではないからだ。長年に亘って、電力業界は、地域独占と総括原価方式の電力料金体系によって、極めて安定した経営を続けてきた。無論、電力の安定供給に向けた、社員や関係会社の方々の日々の努力を否定するものではないが、電力会社の経営は、規制業種として利益が保証されており、極論すれば特段の経営努力をしなくても成り立つものであった。国民が広く薄く負担をすることで自動的に利益が上がる構造になっているからだ。そういう業界では、リスクを取って無理に利益を上げる必要はない。いわば、既得権益に乗ってお上に逆らわなければ、役職員は安定した一生が送れたのである。
しかも、こういう規制業種の場合、公共性が高いとされているために、いざとなればお上の介入や公的資金の投入によって救済されることになる。つまるところ、経営に緊張感など必要ないのである。