忙しくすることで「自分は重要な人間だ」と思いたがっている
現代の文化には「より多くのものごとをこなす」ことを重視する風潮がある。そして奇妙にも人は自分を疲弊させ、すり減らすことで「自分は重要な人間だ」という認識をもとうとしている。
作家のローラ・バンダーカムが指摘しているように、「多忙」であることと「自分は重要な人間であるという認識」には、強い相関関係がある。「過労と睡眠不足を嘆いてみせることで、自分がちゃんとやっているということを周囲に示したいのだ」
だが、どうやら、いくつかの基本的な事実がすっかり忘れられているようだ。たとえば、時間の使い方を少し変えれば、ライフスタイルに大きな変化をもたらし、充実した1日をすごせるようになることを思いだそう。
ジョセフ・ジュランはジョセフ・デフェオとの共著『ジュランの品質ハンドブック(Juran's Quality Handbook)』(未邦訳)のなかで、「バイタル・フューの法則」として「重要なものはごくわずかしかない」と説明している。
いわく、質の高い仕事をする鍵は「些末な多数(トリビアル・メニー)」と「ごくわずかな重要なもの(バイタル・フュー)」を区別することにある。そのためには、自分のタスクをていねいに見なおし、最重要のタスクと、とりあえず後回しにできるものとを区別しなくてはならない。最重要のタスクをすべて終えたら、後回しにしたタスクを再度、見なおす。そして、着手すべきタスクなのか、あるいは、そもそも不要なタスクなのかを見きわめるのだ。
「バイタル・フュー」の地位を獲得できるタスクはなんだろう? タスクの優先順位は必ずしもぱっと決められるものではないので、じっくりと考えてみてほしい。