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発足時は市民に必要とされた
山口組の歴史とは

 山口組が発足したのは1914年、大正時代の終わりである。初代組長の山口春吉氏は、港町・神戸で、港湾荷役業を軸とする現在でいうところの「人材派遣業」を行っていた。

山口組のハロウィン、厳戒態勢の中ではしゃぐ子どもたち(下)山口組関係者に「敷地内での撮影をしたい」と申し出ると、礼儀正しい応対を受け、「子どもさんやお母さんを撮らなければ」という条件付きでOKが出た

 もちろん当時と今とは時代も社会も違うが、荒くれ者が多かった港湾荷役業に携わる男たちを束ねることは容易ではない。問われるのは何者をも心服させる“調整力”だ。この調整力を活かして、初代組長の長男で二代目組長・山口登氏は芸能界へと進出。「山口組興行部」を立ち上げた。兵庫県警関係者が語る。

「戦後、神戸芸能社として発展する山口組興行部は、今、放映中のNHKの朝ドラ『わろてんか』の主人公・吉本興業創業者の吉本せい氏の依頼を受けて、吉本興業所属俳優が業界のルールに反し、他社の映画に出演すると言い出したことに端を発するトラブルの収拾にあたったことで知られています」

 このトラブル収拾時に直接、他社との交渉に当たった山口登組長は、全身18ヵ所を切られる重傷を負い、その傷がもとで3年後に死亡する。利権を巡るトラブルに暴力が用いられることがごく当たり前の業界で、ある意味、時代に必要とされて誕生した組織が、現在はヤクザと呼ばれ、警察から「暴力団」として指定されているということだ。

 世間では山口組をはじめ、暴力団とかヤクザといえば――こうした組織に属する人たちは〈任侠〉という言い方をする――それを「職業」としていると思いがちだが、これはあくまでも親分と子分を軸とする人間的繋がり、いわばプライベートでの「サークル」であって職業ではない。