前回、私は中世ヨーロッパの教皇と君主の関係から、組織論における権力のパワーバランスという問題についての示唆が得られるという話をしましたが、元の情報と得られた示唆とのあいだで、ジャンルがクロスオーバーしていることに注意してください。

 元の情報は「歴史」のジャンルに括られる情報ですが、得られた示唆は「経営」というジャンルの、それも「組織論」や「リーダーシップ論」のジャンルに関わる示唆になっています。元ネタのジャンルと、得られる学びのジャンルがジャンプしているわけです。

 組織論における権力構造について学びたいと考えれば、まずは「経営」というジャンルの、それも「組織論」について学ぶのが、入り口としては真っ当でしょう。しかし、では定番と言われる教科書を通り一遍に学んだというだけで、その人らしいユニークな示唆や洞察が持てるかというと、残念ながらそうはならないわけですね。

 こういった本を通じて得られるのは、組織について考える際の、最低限知っておかなければならない基礎知識でしかありません。周囲にそのような勉強をまったくしている人がいないという状況であれば、それはそれで一時的な「知的優位」の形成につながるかもしれませんが、そのような知識がどこに行っても通用するような「ユニークな知的戦闘力」の形成につながることはありません。

 組織における権力構造のありようについては、さまざまなジャンルのインプットから示唆を得ることができます。たとえば、塩野七生の『ローマ人の物語』、あるいはマキャベリの『君主論』、あるいはフランシス・コッポラの映画『ゴッドファーザー』、あるいは「サル学」などの霊長類研究は、それぞれ「権力はどのようにして発生し、維持され、あるいは崩壊するのか」という論点について、さまざまな気づきを与えてくれます。

 これら学びをジャンルで整理すれば、それぞれは、歴史文学、政治哲学、映画、動物行動学ということになり、書店の「組織」という棚に並ぶことはありません。つまり「テーマ」と「ジャンル」を一対で設定してしまうと、示唆や洞察を得るための組み合わせの可能性はとても小さくなってしまうということです。

 独学の戦略を考えるというのは、一言でいえば、独学のカリキュラムを組む、ということですが、ジャンルに沿ってカリキュラムを決めるというのは、書店の店員さんに自分のカリキュラムの枠組みを決めてもらうのと同じことなのです。このように指摘すれば、それがいかにバカげたことか、おわかりいただけると思います。

 スティーブ・ジョブズをはじめとして、高い水準の創造性を発揮した人の多くが「新しいアイデアとは、新しい組み合わせによって生まれる」ことを指摘しています。

 これは、独学の戦略においてこそ、改めて肝に銘じておくべき指摘だと思います。第2回でクロスオーバー人材の重要性について指摘しましたが、これは学びについても同様に言えることなのです。

漫画意外の教養や知識が、最後にものを言う。また、ふだんの勉強も必要で、漫画本ばかり読んでいてはダメである。文学や科学書、紀行、評論集などの本に親しんで、知識を広めることだ。
――手塚治虫『マンガの描き方』