がん治療薬の研究は日進月歩のため、今後も巨額の開発費用を投じた高価な薬が次々と発売される可能性が高い。日経新聞電子版によれば、ノバルティスが発売した「キムリア」は1回の治療費が47万5000ドル。1ドル110円で換算して5225万円である。他にも遠からず、高額の薬が多数発売されるだろう。

 だとすると、「健康保険の財政が大丈夫なのか」といった懸念が生じる。しかし、その前に、もっと本質的な問題を考える必要がある。

 例えば、「100歳の末期がん患者を1日延命させる」という新しい薬が開発されたとしよう。その薬が1億円だったら、どうだろうか。「人命は地球より重いのだから、1億円かけても延命させるべき」と考え、その費用は政府部門(例えば国民健康保険)が負担すべきなのだろうか。

「政府の支出」は
結局、納税者の支出

 日本人は、納税者意識が低いと言われる。国民が“痛税感”を持たないよう、旧大蔵省がサラリーマンに税金を計算させない「源泉徴収」という制度を考えたのだ、と言う人もいる。その真偽のほどはともかくとして、政府の支出が自分の支出だという意識が低い国民が多いことは間違いない。

「政府が1億円の延命費用を出すべきだ」というのは、「日本人の大人は1億人いるから、1人1円ずつ出し合って延命費用にしよう。もちろん自分は進んで1円を負担する」という意味だ。だが、そう思っていない人も多いだろう。

 ちなみに、「政府の支出は政府の借金として後世の納税者が払うのだから、自分の腹は痛まない」と考える人や、「累進課税なので、低所得者である自分の腹は痛まない」と考える人もいるだろうが、そうした人のことは本稿では考えないことにする。

 同様のことは、様々な場面で見受けられる。

 例えば、雪国の山奥に人口5人の村があり、毎年雪かきに多額の予算がかかっているとしよう。「5人に平野部に引っ越してもらおう。引っ越してくれたら多額の謝礼を支払ってもいい」という意見に対し、「生まれ育った村に住みたいというのは当然のことだ。だから引っ越しを強要すべきではない。政府は雪かきを続けるべきだ」という人も多い。しかし「政府は雪かきを続けるべきだ」と言う人たちは、果たして「雪かきの費用は国民負担であり、当然、自分は進んで分担する」という意味であることを理解しているだろうか。