定年退職後、会社や組織、そして家族のために生きてきた日々をいったん終えると、あとはゴールを意識して自分らしく生きることができる毎日となる。自分は、自分の人生の主人公である。当たり前のようだが、現役時にはなかなか持ちえなかった意識を取り戻すチャンスであるともいえるのだ。(ビジネス書作家 楠木 新)
生涯には「積み立て型」の時期と「逆算型」の時期がある
以前、当連載の第1回目(「定年退職か雇用延長か「60歳の選択」には準備が欠かせない」)でも紹介したが、年度末に定年を迎えるある会社の社員数人が、「60歳で退職するか? 65歳までの雇用延長を選択するか?」の話で盛り上がっていたが、その場が一瞬静まり返った。それは「自分の親父は60代後半で亡くなった。それを考えると残りはあと10年だ」とある人が語った時のことだ。
皆の頭に浮かんだのは「エッ、あと10年? 残りの人生はそんなに短いのか」という共通した思いだった。平均寿命は80歳を超えても、それはあくまでも「平均」だ。
現役の会社員が10年後に亡くなると考えたら、どのように生きたいと思うだろうか。最後まで仕事に全力を注ぐのか、それとも家族と過ごす時間を長く確保するのだろうか。
誰もが人生のゴールがあることは知っているが、普段は意識の底にしまい込んでいる。ところがお世話になった元上司や先輩の訃報に接すれば仕事の手が一瞬止まる。身近な人の死に遭遇すると、自分と重ね合わせていろいろと思いを馳せる。日々の業績や役職、得られる給与に執着しているだけでいいのかという考えが頭をよぎる。
それは「死」という現象はビジネス社会が取り込むことができない対象であるからだ。