生活保護基準を引き下げると、子どものいる家庭の就学援助、高齢者がいる家庭の年金・介護保険など、生活保護で暮らしているわけではない多くの家庭に影響が及ぶ。でも2012年、その認識を持っていた人々はごく一部だったかもしれない。そのことは、生活保護で暮らしつつ「引き下げ反対」と声を上げる人々への冷ややかな風当たりにつながっていた。しかし6年後の現在、生活保護基準引き下げは国民生活に直結することが、しばしばメディアで報道されるようになっている。

「このところ新聞の社説にも、『自分たちの暮らしに直結するから、生活保護基準は下げちゃいけない』と書かれています。生活保護が社会に果たしている役割が知られるようになり、空気が変わってきたと思います」(和久井さん)

 とはいえ、デモ参加者の中には、社会の右傾化を憂慮する声もあった。車椅子で参加していた重度障害者のSさん(女性・40代)は、沿道にいる茶髪・革ジャンの10代男子数名が、ニヤニヤしながら自分たちを眺めているのに気づいた。Sさんはその後、「あ、そうなのね」と沿道を見ずに参加し続けていたという。

「身近な若い子たちも、どんどん右傾化しています。流れ的にそうなんだろうかと……。右派は強そうだから、カッコよくてマトモだと思うんでしょうか」(Sさん)

 しかし、国家財政の健全化のために生活保護基準引き下げが不可避であるなら、引き下げるしかないのかもしれない。経済学者・井手英策氏(慶應義塾大学教授)は、どう見るだろうか。井手氏に意見を聞いてみた(筆者とのQ&A方式でお伝えする)。

財政健全化の役には立たない
経済学者も警鐘を鳴らす

――国家財政の健全化という目標のために、何かを削減する必要性があることは、確かにあるのもしれませんね。

「でも、『どこから、何を削るのか』に関する判断基準が必要なはずです。今回は、都市部の保護世帯の受給額が低所得層の生活費を上回っていることが判断基準として示されました。しかし本来であれば、低所得層の賃上げが筋でしょう。『それはできないから生活保護を引き下げる』というのは、政府が自らの失政を低所得層に尻拭いさせているも同然だと感じます。最低限の生活保障の『最低限』を、財政的理由で恣意的に切り下げていくというやり方は、ハッキリ言って『人の道にもとる』と思います」(井手氏)