─ いわゆる競技テニスはいつから始まったのですか。
 全然後ですよ。高校で、一応テニスの強い学校に推薦で入ったんです。初めて学校のテニス部に入ったのですけれど、それでも、小さな大会でも優勝というものを経験したことがなくて、初めて優勝したのが高校1年の新人戦ですね。それまでは、優勝とは縁がなかったです。

テニスの強い学校
伊達さんが初めて学校のテニス部に入ったのが、推薦で入学したテニスの名門校として知られる兵庫県尼崎市の園田学園高校。現在もインターハイの常連校である。伊達さんは、この高校時代に頭角を現し、プロの道へと進んだ。

─ でも、テニスの強い学校に推薦で、っていうことは、それなりの実力がないと入れないですよね。
 常にトップに近いところにはいたんですけど、トップではない感じでした。中間でもないし、トップに近いんですけど、トップではない。

 よくて2番。大体3番。関西で、京都は私の年代の時は強かったんですけど、関西で、2番か3番。全国に行くと、よくてベスト8とか。それぐらいのレベルだったので、そんなにトップ中のトップではなかったですね。

─ ご自身的にそのポジションは、どうだったのですか。
 私は小さい時から負けず嫌いで、リレーを走ってもアンカーで、1番以外は経験してないくらい運動神経もあると思ってましたから。

 もちろんテニスも勝ちたいけれど、勝てなくて泣いてるっていう感じでした。ずっと悔しかったです。だからといって、自分の中で強くなれる手応えがあったわけではないんです。

─ それでも、インターハイでは優勝してますよね。
 高校1年の時は、県予選で負けてます。シングルスは県予選で負けて全国大会に出れてなくて、ダブルスはベスト4ですね。団体はメンバーに入ってるんですけど、出番のないメンバーでした。メンバーで、メダルもぶら下げてるけど、何もやってない(笑)。そういうポジションでした。

 そこから、1年の新人戦で優勝して、その後から勝てるようになって、2年生のインターハイはベスト4、3年生で優勝しました。その辺りから、変化が出始めました。

─ その時期に何かあったのですか。
 必然的に練習量も増えて、ライバルが近くにいるという環境の中でやってたことで、より競争心も強くなり、練習量が増えていき、少しずつ実力がついていったということだと思いますね。

─ 伊達さんの代名詞的なライジングショットは、高校時代に既にやっていたのですか。
 まだ全然やってなかったです。ライジングショットはプロに入って数年してからです。

ライジングショット
テニスプレイヤー、伊達公子選手が得意としたショット。相手のボールがバウンド後、最高点に達する前に打ち返すショット。タイミングが難しいが相手の力を利用して打つので、少ない力で外国人選手の力強いショットに対抗できる。
(写真/時事)

─ プロになろうと思ったきっかけは何かあったのですか。
 高校時代はインターハイでは、県予選負け、ベスト4、優勝という結果だったのですが、インターハイのベスト4に入ると、自動的に、いわゆるプロの人たちが出場する全日本選手権の予選に、協会推薦で出場できるのです。

 それで2年生の時に、その資格で出場したのです。そしたら、予選から勝ち上がってベスト4に行っちゃったんですよ。3年生の時もベスト4だったんですけども、2年生の全日本選手権を機にプロを考え始め、高校3年の春にはもう決めていましたね。

【Part 2】へ続く

伊達公子

1970年、京都生まれ。89年にプロ転向。ライジングショットの名手である。アジア出身の選手として史上初めてシングルスで世界ランクトップ10に入る。最高位は4位。これは現行システムでの日本人最高位である。WTAツアー、シングルス8勝、ダブルス6勝。17年9月、現役を引退した。エステティックTBC所属。