VCとしてのメディチ家

 現代と似た現象は中世でも起きていた。14世紀から16世紀にかけてイタリアを中心に興った文化運動「ルネサンス」。芸術を愛し、芸術家たちを育てた「パトロン」として、フィレンツェのメディチ家がよく知られている。

 メディチ家は銀行業で大きな成功を収め、イタリアだけでなくヨーロッパでも有数の大富豪として君臨した。その巨大な富を原資に、多数の芸術家を抱え、惜しみなく資金を提供し、仕事を与えていた。

 こんな逸話がある。ある日、メディチ家当主のロレンツォがフィレンツェの街を散策していると、偶像を彫っている少年が目に留まった。その場にくぎ付けになったのは、少年の才能に加えて、精度にこだわり抜くその姿勢であった。ロレンツォはこの若い石工を自分の屋敷に住まわせ、学ばせた。この少年が後の芸術家ミケランジェロである。

 メディチ家は、天才かもしれない「金の卵」を発見したときにリスクを取って投資した。無分別に財を注いだのではなく、社会共通の財産となる可能性を新しい才能に見いだしたときに投資し、囲い込んだというわけだ。

 音楽の歴史でも同様のことがあった。18世紀後半から19世紀前半にかけて「古典派」と呼ばれる時代の音楽家は、それ以前の「宮廷お抱え」の状況から、貴族をパトロンにしながら、フリーランスとして独立していく過程があった。

 そのため、それまで貴族のたしなみであった音楽から、作曲家自身の内面を表現する音楽へと変わっていった。ハイドン、モーツァルトが交響曲の形式を確立し、ベートーベンがさらにそれを発展させた。近代的なオーケストラが誕生したのも、このころである。

 これらの音楽は今では人類の財産といえるが、パトロンの存在がなければ誕生していなかったであろう。

 こういったパトロンは、現代でいえばベンチャーキャピタル(VC)に相当する。

 リスクを取り起業家に投資するVC投資には、どうしても失敗がつきもので、無駄が多い。しかし、その無駄を覚悟でリスクを取らない限り、ミケランジェロやモーツァルトのような才能は発掘できないのだ。

 最近、米株式市場の指標に「FAANG」が登場した。これは、フェイスブック、アップル、アマゾン、ネットフリックス、それにグーグルの株価を合わせた指標だ。

 この5社の企業価値は優に320兆円を超え、日本の東証1部全企業の時価総額の半分に相当する。彼らもまた現代のメディチ家といえるのではないか。

 FAANGは、事業創造や規模拡大、人材の取得のために次々とスタートアップの買収を繰り返している。その恩恵にあずかろうと、多数のVCがスタートアップに投資するが、実は半分くらいは事業として鳴かず飛ばずとなり、その投資は水泡に帰する。