理想主義への失望から、橋下氏への期待が生まれた

 どういう社会を目指すのか。そこにあるのは、競争なのか、それとも平等ややさしさなのか。そんなことを語ると、いまや侮蔑的な意味となった「理想主義者」というレッテル貼りをされるかもしれません。しかし「どういう社会にしたいのか」というイメージなくしては、改革もチャレンジもないのではないでしょうか。

 もちろん、こうなった背景には、戦後のリベラル派といわれた人たちが、「自由、平和」などとそれこそ理想主義的なことを言いながら、結局、社会や教育をよくできなかったじゃないか、という大きな失望があるのだと思います。「もうきれいごとなんて信用できない」という思いです。鳩山元首相が「友愛」を掲げて熱狂のうちに迎えられ、すぐにその座を降りたことで、「きれいごとへの嫌気」はさらに強まってしまいました。

 そんな下地の中で登場し、理想を掲げるよりも、現実論で変化を訴えているのが橋下氏です。目に見えやすい実際の問題を指摘し、敵を明確にしては、一つひとつ壊していく。その実行力が、何をやっても変わらない世の中に失望していた人に受け入れられたのだと思います。

 しかし、それでも橋下氏は、今や田原総一郎氏に「日本を変えるキーパーソン」とまで言われるほどの存在です。だとしたら、やはり「どういう社会を創るための改革か」を示す義務があるのではないでしょうか。