復興交付金の配分をめぐって復興庁とぶつかっている村井嘉浩・宮城県知事。国の言いなりにはならない強い思いは、インタビューで、予算申請を国に却下されても「はい、そうですかと言って引き下がらない」と話すように、言葉の端々ににじみ出る。そんな村井知事はこの1年間の復旧・復興の取り組みをどう総括しているのか。また、これから本格的に始まる復興事業をどのように取り組むのだろうか。(聞き手/週刊ダイヤモンド副編集長 田島靖久)
住居と仕事を整備しないと
だれもいなくなってしまう
――東日本大震災から1年が経ち、復旧・復興の進捗状況は?
Photo by Kiyoshi Takimoto
やっと、動き出した感じだ。我々は復興計画を10年とし、復旧期を3年、再生期を4年、そして発展期を3年と分けている。東日本大震災が発生したときからだから、復旧は実質的にはあと2年。そういう意味では2012年の1年間は非常に大きな意味を持つ。
2012年度の予算は「震災復興スタートダッシュ予算」と銘打った。一般会計ベースで1兆6000億円となり、通常の宮城県の一般会計予算である8000億円の2倍の規模だ。中身は震災関係が55%くらい。つまり、昨年度までの予算をかなり削って震災分にあてた。それだけの予算をつけて、これから動き出す。
いま早急に対応しなければならないと考えているのが、住まいと雇用の二つだ。特に重要だと考えているのは住まいの問題だ。今はとりあえず応急仮設住宅、あるいは民間のアパートに入居してもらっているが、そういう方々の「終の棲家」となるものを作らなくてはならない。
住む場所がない、仕事がないとなると宮城に住めず、県外に出て行ってしまう。せっかく街作りをしても誰もいないというようなことがないよう、しっかりと形が見えるようにしていきたい。
――県が策定している将来ビジョンでも、県内総生産10兆円を震災後も堅持している。
この計画を作ったのは震災前で、実はリーマンショックの前だ。スタート時点の県内総生産は8兆5000億円程度だった。国の成長率に1.5%くらい上乗せして10年間で10兆円に持って行く計画だった。リーマンショックや大震災が起こり、発射台が下がってしまったが、10兆円は分かりやすいのでそのまま掲げている。