福島第一原子力発電所の北、太平洋沿岸に位置する南相馬市は、地震と津波の被害が大きく、福島県のなかで死亡者が一番多かった市だ。その上、市の南のエリアが原発事故の警戒区域(20キロメートル圏内)にあたり、今も立ち入りが制限されている。同市では桜井勝延・南相馬市長を中心に復興をすすめ、避難した市民6万人のうち、4万3600人が帰宅するまでになった。役場を移さずに復興を進めたのが市民の早期帰宅に結びついたと話すが、市長は政府の対応、とりわけ原発の「事故収束宣言」に対しては強い不快感を示している。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)
2万6000人帰宅できていない
どこが事故収束なのか
――震災から1年が経った。この1年をどのように総括しているか。
国が責任をまったく果たしていない。震災と原発事故のドタバタでまったく情報が入らなかった。SPEEDI(スピーディ:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報はもちろん、放射能汚染がどのように広がって行ったかという情報がまったく入らなかった。警戒区域が設定され、物流も止まった。それによって、南相馬市は情報においても物流においても、完全に孤立し、過疎地となってしまった。
市民は自分の命や子ども達を守るために、山を越えて飯舘村の方や伊達市のほうへ避難して行った。しかし、情報がないために、わざわざ放射線量が高い方へ逃げてしまった。南相馬市街にいた方が被爆しなくて済んだ。これは国の責任だ。国のメッセージ力がまったくなかった。