限りないリツイートの末に

 この自撮り写真がバイラルになった主な理由は、人々がそれを面白いと感じたからだ。ニュースサイトのバズフィードは、次のように表現している。「史上最高の自撮りを見よ!」そんなに面白い自撮り写真と言えるだろうか?

 もしその内容を真剣に考えなければ、答えは「イエス」になるだろう。しかし、苦しんでいる人をジョークのネタとして使い、ソーシャルネットワークでシェアされる自撮り写真に収めることの意味を考えれば、そうは言えないはずだ。

 さらにこの出来事の背景には、より大きな問題を抱えるトレンドがある。それはプライバシーの侵害、マナーの崩壊、共感の欠如、妊娠や母性に対する敬意の欠如、教室での振る舞いや教師の権威に関する問題の悪化である。ただ、正直に考えてみてほしい。

 誰もティーンエージャーに対して、礼節と礼儀のロールモデルになることなど期待していないはずだ。彼らは冗談が好きで、周囲を混乱させ、権威に対して挑戦する。現状を打破することが、彼らの最も得意とするところだ。なぜか?心理学では、若者は自己概念やアイデンティティを形成する過程にあり、何が境界線なのかを試し、リスクを冒すことを楽しんでいるのだと考えている。

 彼らはまた、フィードバックを求めている。それが最終的に、自分とは何者か、そして世界から何を期待されているかを理解するための助けになるのだ。では自撮りをして、それをシェアするとき、若者はその行為から何を見出そうとしているのだろうか?それはおそらく、「自分自身」だろう。

 インターネットが登場する前、若者はアイデンティティの形成というこの重要な期間を、現実世界において過ごしていた。そこは人々がより密接に触れ合う場所で、ポジティブなフィードバックもネガティブなフィードバックも、すべて現実の友人や家族、何らかの権威から与えられてきた。

 社会規範と、これから成長していく人々に期待されることは、かなりの割合で一貫していた。20~30年前に、ティーンエージャーが教室で苦しんでいる教師を写真に撮ることなど許されただろうか?あるいは、そうした写真を雑誌に掲載することは?

 ホワイターの一件に話を戻すと、ハレックの陣痛はその後落ち着き、彼女は2日後に教室に戻った。そのときまでに、彼女の写真はインターネット上で大きな注目を集める話題、あるいは「ミーム」〔人から人へと(特にインターネットを介して)シェアされたり、模倣されたりしながら広まる行動や考え方〕となっていた(その時点でリツイート数は6万424回、お気に入り登録数は6万4808件に達していた。

 ホワイターは一線を越えてしまったのか?彼はトラブルに巻き込まれたのか?ハレックは気にしていなかった、とホワイターは語っている(彼女が彼に与えた期末評価はBだった)。「実を言うと、僕は最初笑っていたんだけれど、その写真を別の形で見るようになって泣きたくなった」とホワイターはツイートしている。

 その月の終わりまでに(インターネット上では長い年月に等しい)、オンライン上のいたずら好きな人々が写真からホワイターの顔を切り抜き、彼の笑顔を別の背景と組み合わせるという遊びをするようになっていたのだ。キリストの磔刑の前で笑うホワイター、飛行船ヒンデンブルク号の爆発の前で笑うホワイター、といった具合だ。