自己中心的過ぎる自撮り
セルフィーッシュ
いまやインターネットは、ティーンエージャーが他人と交流し、遊び、勉強し、実験し、リスクを冒し ― そして最終的に自分が何者かを知るための、冒険の場となっている。
マリク・ホワイターがネット上でちょっとした有名人になったのと同じ年、もう一つの写真が数百万人という人々に閲覧され、議論を呼んでいた。それは長いブロンドヘアの若く可愛らしい女性が、ブルックリン橋の前で自撮りしようとしている姿を撮影したものだった。
彼女はサングラスをかけ、白いニットのスカーフを巻いた姿で、カメラに向かってポーズしているのだが、その背後の橋では、1人の男性が飛び降り自殺をしようとしていたのである。
精神病の傾向がある場合を除き、なぜ人は他人の精神的な苦しみに対して、これほど冷酷で、無関心になれるのだろうか?この点について考えてみよう。教師が苦しんでいる姿を見たホワイターが、それを面白がって撮影したように、この匿名の若い女性も、死を選ぶほどの精神状態に追い込まれた見知らぬ人の姿を(撮った写真を大勢の人々と共有しようとしていたかどうかは別にして)明らかに面白がっている。
たしかに彼女の姿は、ホワイターの自撮りよりも冷酷に感じられるかもしれないが、他人への関心や共感が欠如しているという点では同じだ。そう主張しているのは、私だけではない。ブルックリン橋で自撮りする女性の姿を匿名の人物が撮影しており(そこで撮られたのが前述の画像だ)、その翌日、画像がニューヨークポスト紙の一面に掲載された。そこにはこんな見出しが付いていた ―「セルフィーッシュ」〔自撮りを意味する「セルフィー」と、自己中心的という意味の「セルフィッシュ」を掛けたもの〕。