なぜ自分でメディアを作ったか。

竹熊 若い編集者から上の世代の編集者の悪口を聞かされたことありますか? 何がそんなに不満なのかなと思って聞くと「彼らは成功体験しかないんですよ」と言うわけ。つまり何をやっても売れた時代があったからだと。

都築 いや、たぶん違いますよ。給料が良すぎるっていうそれだけですよ。だったら辞めて自分で雑誌作ればいいんです。その迫力がないんです。だから僕は自分で直販の道を探して、メディアをつくったんです。

一生フリーで生きていくために、自分でメディアを作った――都築響一の場合。【後編】竹熊健太郎(たけくま・けんたろう)
1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん・サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。4月に『フリーランス、40歳の壁――自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』を上梓。

竹熊 僕の『サルまん』の担当編集だった江上さんはこないだ早期退職をされて出版社を立ち上げたんです。自分の作りたい本だけを作る、と言ってね。では最後にWEBを使ったメディア展開について伺ってもいいですか。

都築 ずっと自分で雑誌をつくりたいと思っていたけれど、それだと元手が何億とかかるから無理だったんですよね。スポンサーについてもらっても今まで同じ轍を踏むことになると思ったんです。どうせ上手くいかない。あとスピードの問題も不安だった。展覧会の記事が、始まるはるか以前の資料で書くか、展覧会終わった後での発行になるしかなかった。
 それとは違うスピード感でやりたかったんです。以前は個人が少額のお金を定期的に課金する環境がなかった。メルマガのフォーマットはあったんですが、僕は画像をたくさん載せたかったからそれでは不満だった。だからブログでやり方を勉強しながら、ペイパルなどが出てきて環境が整ったので、2012年1月に『ROADSIDERS' weekly』を始めたんです。

竹熊 今はメインの収入はメルマガ?

都築 そうですね。メルマガと単行本の印税ですが、どちらも定期的ではないです。お客さんがいなくなればそこで終わりですからね。雑誌と違うのは読者の具体的な反応が直販することによって分かることことで、これは新鮮だった。そういう環境で仕事できることに間に合ったのがすごくうれしい。僕らはぎりぎり晩年になってですが、間に合った(笑)。

竹熊 今から取次のコードをとっても相手にされませんからね。

都築 来週くらいにkindleで電子書籍をリリースするんですが従来のやり方はおかしいでしょう。電子なのに大して安くならないし、印税も変わらないのもおかしい。これから自分で出す本はkindleでは出さないです。なぜならテキストベースのものしか載せられないから。
 僕の本は画像をたくさん載せて、かつ高画質でみせたいんです。でもそれができることが本来電子出版のいいところだと思うんです。写真集はものすごくコストがかかるじゃないですか。定価も3万円とかになって。でも電子ならそんな必要もないでしょう。来週から出る秘宝館の電子書籍は700Pあります。データ量は2Gあります(笑)。でもそういうことをやっている人は世界にいるんです。プロテクトもかけないつもりです。プロテクトをかけることが諸悪の根源だと思うんです。

竹熊 音楽でもそうでしたね。

都築 そうです。プロテクトとか余計な技術はいらないです。

竹熊 都築さんは今、ご自分でサーバーを借りて電子を配信するわけですよね。うちは作家の漫画を配信する立場でもあるので電子取次を介しています。

都築 kindleも定額読み放題制が始まったわけですよね。だから音楽で起こっていることを出版業界は数年遅れで追っていくになるでしょうね。
 でも僕らは戦略的にそうやっているんじゃなくてやむをえずやっているわけです。他に方法がないから電子でやっている。でも出版社の電子は紙の事業の上に、どうやって乗せるかという発想だからそれほど脅威じゃない。kindleが電子を独占したところで、売れる本は大きな影響があるだろうけど僕らのつくる本の場合あまり関係ないという気もします。

竹熊 都築さんはメルマガの購読者数は何人くらいを希望されているんですか?

都築 目標は3,000人くらいですかね。それくらいになったらスタッフを雇えるけど、いまはそこまでいってないので、編集作業はすべて自分ひとりなのがちょっと大変ですけど。

竹熊 僕はこの業界をミニコミから始めたんですが、結局ミニコミに戻ったなという感覚がすごくあります。ネットの『電脳MAVO』でやっていることはミニコミですよ。

都築 僕はどんどん小さくなっていった感じかな(笑)。メルマガの原稿の四割は出張先の地方のビジネスホテルで書いていますよ。Wi-Fiさえあればどこでも書ける。スタッフとのやり取りもDropboxですしね。

竹熊 いや、フリーとして還暦を迎えたのはすごいですよ!(笑)今日はありがとうございました。

一生フリーで生きていくために、自分でメディアを作った――都築響一の場合。【後編】