松下電器の誕生も課題解決アプローチから

 本田宗一郎の話をしたならば、パナソニック創業者・松下幸之助の話もせねばなるまい。

 第二次世界大戦以前の1918年に創業した松下電気器具製作所(パナソニックの前身)は、創業2年目にいわゆる「二股ソケット」を大ヒットさせ、現在に至る基盤を作る。

 当時、多くの一般家庭は電力会社と「一戸一灯契約」という契約を結んでいた。しかし、これは家庭内に電気の供給口として電灯用ソケットを一つだけ設置し、電気使用料金を定額とする契約であったため、電灯をつけているときには同時に電化製品を使用することができないという不便があった。

 そこで登場したのが二股ソケットである。二股ソケットは、電気の供給口を二股にして、電灯と電化製品を両方同時に使用できるようにしたもので、既に米国製のものなどが販売されていた。

 これに着目して使いやすくかつ壊れにくく改良した上で、価格についても半額近くに下げて販売することで、松下幸之助は大ヒットを生み出したのである。

 このエピソードの背景として、パナソニックミュージアム松下幸之助歴史館には「アイロンを使いたい姉と、本を読むために電灯をつけたい妹が口論をしている姿を町で目撃した松下幸之助が、姉妹同時にアイロンと電灯を使うことができるようにと二股ソケットを考案した」という内容のビデオが流れている。

 その真偽のほどはわからないが、「一戸一灯契約」で困っている人々に対する共感をもとに、プロダクトのアイデアを着想し、改良を重ねて販売をするというアプローチは、本田宗一郎のものと同じ「デザイン・シンキング」に基づくアプローチと言うことができる。