それはもう数え切れませんでしたね(笑)。「金のためか」「売名行為」「神にでもなったつもりか」と。自然に子どもができない夫婦が、夫や妻以外の助けを借りてまで子どもをつくろうとするのは、自然に反する、それを医者が手助けするのは“神の領域”に手を出すことだ、という。

 かつて夫婦間の体外受精が今ほど多く行われていなかった時代、生まれた子どもは“試験管ベビー”と呼ばれ、不妊治療を行う医師たちも少なからず“神の領域”と批判を浴びました。だから患者さんも隠して治療をしていた。

 命への敬意は決して忘れてはならないものですが、その言い方を借りれば、医療自体がそもそも“神の領域”を侵し続けてきたことになる。

――夫や妻“以外”からというのが、世間からは受け入れ難い要因の一つだと思います。自然に子どもができないのに、そこまでして子どもを望むのは、人間のエゴだと。

 この世に生まれたすべての命は、すべて親のエゴで生まれていると私は思います。世間がいう“自然”に子どもをつくる行為である性行為、子どもが欲しいという思いは、ある意味エゴそのものでしょう。私を産んでくれと、受精前から親に訴える子はいません。だからこそ、親には子どもを愛し育てる義務がある。

 “自然”に子どもをもうけた人たちが、夫や妻以外の助けを借りて子どもを持とうとしている人に対し、上から目線で「親のエゴ」などとなぜ批判できるのでしょうか。

「不妊は恥ずかしいことじゃない」
無精子症の夫を見下す妻を一喝

――精子提供や卵子提供で生まれた子どもは将来、自らの出自を知って苦しむ可能性もある。匿名の精子提供によって生まれた子どもが大人になり、出自が分からないために自分のアイデンティティに悩むという事案が近年話題となっています。

 私も、当該者の方々のお話を伺うことがありました。さまざまなケースがあると思うので一概には言えませんが、片方の親と血がつながっていなかった事実より、親が自分たちの選択を「後ろめたい」と感じていることや、子どもの戸惑いを受け止められなかったことの方が、大きな問題ではないでしょうか。