自ら北朝鮮を訪ね、そこに暮らす一般の人々を写真に収めた作品集『隣人、それから。38度線の北』を刊行した写真家・初沢亜利さんと、国際政治学研究者の三浦瑠麗さんが、北朝鮮問題の本質について語り尽くした。(対談は7月23日に実施)
日本人の北朝鮮観は
紋切り型で遅れている
初沢 僕が北朝鮮を訪ねて一般市民の生活を撮り始めたのは2010年からで、2012年に写真集『隣人。』を刊行しました。2002年の拉致被害者の帰国から10年後ということになりますね。この時は、日本人の北朝鮮に対する感覚として、「違和感」よりも「共感」できるポイントがあるとしたら、写真を通してそこを探していこうという思いでした。
ところがその後、3代目の金正恩政権が軌道に乗ると、北朝鮮はどうやら独自な経済発展を始めたように見えた。一方で核・ミサイルの開発も急ピッチで完成に近づいていきました。世界中が漠然と北朝鮮の崩壊を予測、期待していた中で、むしろ政権基盤が安定してしまった。日本のメディアも世論も状況の変化を理解できずに、旧来型のイメージに沿ってバッシングを繰り返すだけでした。
今回も16~18年に3度訪朝して、年々変わっていく北朝鮮に向けて、純粋な驚きを持ってシャッターを切りました。前回の「共感を拾い集める」から「変化への驚き」へと撮影のモチベーションがおのずと変化しました。それでも、地方は依然として餓死者が続出している、みたいな願望を投影し続けるだけの我々の北朝鮮観を変えるために、写真がどこまで有効かは分かりません。
三浦 実際に初沢さんの写真集を拝見しましたが、非常に面白い。日常が写しだされている中に、私たちの社会の一コマをほうふつさせられるようなスナップがあったりして、はっとさせられます。それを見ることによって、彼らを北朝鮮という1つの人格ではなく、個々の人間として扱うことになります。北朝鮮の脅威を語る人が、そうした実像に興味がないわけではまったくない。けれども、脅威認識が社会に共有された時に、紋切り型の視点の方が面白がられたり浸透したりすることは確かです。
初沢さんは、日本人の北朝鮮観が遅れているのは、北朝鮮を憎んでいてイデオロギー的に受け入れられないからだと思いますか?私の感想として申し上げれば、報道的にもいわゆる「飽き」が来ていますし、日本人は北朝鮮に本当に関心があるのかというと、どうもそうでもなさそうです。