感動のない仕事は仕事ではない

 逆境となると、もう夢しかなかった。

 大きな夢も小さな夢も、みんなとはたしたときの嬉しさは、どれも格別のものだった。
 そんな時間を経たからこそ、いまの私が最も大切にしているもの。
 それは、「感動のない仕事は仕事ではない」という思いだ。

 しかしいま、世を見渡してみると、毎日の生活や仕事のなかで、それほど感動することも、また感動させることも少なくなってきてはいないだろうか。

 もちろん、感動体験がまったくゼロになったわけではない。
 スポーツを観戦して感動と熱狂のなかに身を置くこともある。歌手のライブコンサートで総立ちになって声援を送ることもある。テレビドラマに釘づけになって涙を流すこともある。卒業式で同級生との思い出が心によみがえることもある。
 そうした特別な「イベント」で感動したり感動させたりすることは、いまの時代にもたしかにある。

 ただ、日常生活のなかで感動の大きさと頻度と持続性が確実に小さくなっている気がしてならない。感動が小さいし、少ないし、続かない。

 特に、経営においてそれは顕著だ。感動を与えたり、受けたり、すなわち「感動を授受」する力が弱くなっている。