織田信長が行ったとされる比叡山の焼き討ちなどは、堕落した寺社の既得権益にメスを入れるものでもあったという。当時から400年以上の時を経て、平成がその役割を終えようとしているにもかかわらず、依然として既得権益者は世の中にはびこっている。歴史を振り返ってみても、まるで人間の本能に備わっているかのように、権力は腐敗し利権が生まれていく。しかしながら、大阪府四條畷市の取り組みを取材すると、脱利権を推進できる可能性を強く感じた。本稿では現在の政治利権について簡単に整理を行うとともに、有権者やメディアがどう行動していくべきかを記していきたいと思う。

不正ができない時代になりつつある

 どんな世界にも既得権益があり、自治体行政に関するメディアを主催する筆者はこれを問題視しているが、一方で既得権益者の立場が日増しに弱まっているとも感じている。政治、経済、教育、文化等々の権力者への尊敬・忠誠心の低下とともに、インターネットの普及が不正を明るみにしてしまうことは既得権益者の立場を弱める大きな要因と考える。

 昨今のスポーツ関係者のパワハラやセクハラ、特定の者に有利な判定などと指摘される事象についても、既得権益者の力が相対的に弱まった一つの表れともいえるだろう。世間を賑わした日大アメリカンフットボール部の件も動画の存在がなければ、そして、インターネットによって拡散されることがなければ、あそこまで大事になることはなかったはずだ。しかし、補助金などに関わる特定組織はまだまだ大きな既得権益を得ているところも多い。

税金を最適配分できない理由は政治と既得権益者のしがらみ

 政治利権に話を戻す。時代や状況の変化とともに補助金の優先順位は見直されるべきだが、一度交付した補助金をなくすのは地方自治体にとって骨の折れる仕事だ。

 わずか1万円の補助金をカットするにも不平不満を言われ、対応する職員はもちろん、政治家である首長も大きな反発を受ける。政治家の場合は分かりやすく選挙に影響し、一度交付した補助金のカットは大きなリスクだ。特に医師会などの有力団体との対立は、政治家として命取りになりかねない。

 国民は、こうした背景によって、特定の組織が自らの利権を守るため、政治行政を歪めているという構図を認知しなければならない。